精神医療・心理臨床のヤバさ

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

ここでは特に、「政策と精神医療」、「政策と心理臨床」の面から、現代のヤバさについて思いつくまま記述してみたい。

目次

 「臨床心理士」⇨「公認心理師」
資格問題はどこに向かおうとしているのか

書評『精神科臨床における心理アセスメント入門』津川律子著2009年
~「臨床心理士さ〜ん!医師や薬といっしょに働ける公認心理師資格も取りましょうよ」みたいな本〜

キーワード 
「薬物療法の恩恵」「心理査定の標準化」「事例の定式化」「薬効判定」「治験臨床心理士」

   職場で新たに同僚となった「臨床心理士」が大切そうに読み、あちこちにメモを挿み、付箋を貼りまくっている本があり、ちょいと見せてもらったのが上記の本。著者は日本大学心理学科教授、ロールシャッハテストを専らとし「公認心理師」国家資格化推進の旗を振っていた日本心理臨床学会の「古株」。
“臨床心理士の国家資格化を目指す人々”が、日本心理臨床学会会長に森喜朗元首相を据えるなど、なりふりかまわない”政治工作”を行い、2005年に臨床心理士と医療心理師の二資格一法案が上程寸前までいったものが、医師会(日精協等)の反対で廃案となったところから始まった関係諸団体の”大迷走”が背景にある。現状は日本臨床心理士養成大学院協議会や臨床心理士資格認定協会は“梯子が外された”かたちとなり、公認心理師のみが国家資格となり、公認心理師の指定試験機関として、資格認定協会ではなく「日本心理研修センター」が指定され、病院以外の、民間や福祉や教育領域等での心理支援業務においても“医師の指示に従う”ことが第一義となりそうな風向きになっている。


 本書は、「(主治医のいない患者はほとんどいないのだから)公認心理師資格を拝受し臨床業務における医師の権威と指示のもとで社会的地位と収入を目指しましょう!」というメッセージに満ち溢れていると感じられるが、もちろん、精神病院、医師、製薬会社の三位一体体制への“忖度”ゆえか、そのような文言はあからさまに明言されてはいない。
 本の第一章から、診療保険点数80点が認められている、漢字熟語の習得度から知能を察る、10分でできる知能検査・JART(ジャート)を紹介している(50問の漢字の読みテスト)。言い方を変えれば、“知能検査なんてこんなもの”みたいなメッセージが隠されているか。多くの患者をパッパッと捌かなければならない病院の予診にはうってつけなのだろう。うつ病薬SSRI・セルトラリンや統合失調症薬エビリファイ、プロナンセリンの宣伝もしている。「精神科臨床にいると、いかに薬物療法が患者に恩恵をもたらすかを実感し続けている。」と熱く語る。精神科病院における医師を中心としたチーム医療の課題(電子カルテ化)やそこにおける心理の役割として、「患者の標準化されたデータ提供」や、薬効判定を荷う重要性を語る。「薬効判定研究を医師ではない者が行うのは、第三者評価という点でも信頼性を高める。」「薬剤の効果判定に協力するのは、医療チーム全体への貢献である。例えば第Ⅳ相試験(市販後調査)等も貢献できる業務領域である。」「わたしは以前、“治験臨床心理士”について書いた。…今では関東にも関西にもいる。製薬会社の担当者がわざわざ私の研究室を訪れてきて、直接に治験の手伝いを嘱まれたことさえある。」と誇らしげに語っている。製薬会社社員が手もみしながら、医師ではない、心理職に近づいてくることへの「快感」があるのだろう。
ちなみに、SMO企業(治験施設支援機関)で働くCRC(治験コーディネーター)としての臨床心理士は、SMO最大手の「EP総合」で全国163名とのこと。全体では500名以上の臨床心理士が働いていると思われる。ここでは「臨床行為」に携わることは禁じられており、「神経心理学検査」を行いながら被験者たちの不安を取り除きながら、年収350〜400万円を得ることができ、製薬会社の新薬開発のために邁進することになる。臨床を目指して臨床心理士資格を得た者にとって、そこはバラ色一丁目?それとも地獄の一丁目?


 心理アセスメントについてSFA(問題解決型アプローチ)とCBT(認知行動療法)のアプローチについて述べながら、医師や医療スタッフを支援するための「心理アセスメント」の標準化が求められており、それが「ケースフォーミュレーション(事例の定式化)に繋がり、ここに「心理」の役割が重要…みたいなことが述べられている。
本書の後半は「精神科臨床における心理アセスメントの六つの視点」が各章に分けて述べられている。
①トリアージ(対処優先性の判断) ②病態水準(適応水準、知的水準など) ③疾病にまつわる要素(器質性障害、薬物や環境因など) ④パーソナリティ(認知の特徴・ストレス・コーピングなど) ⑤発達(発達の偏りなど) ⑥生活の実際(家族関係・対人関係など)、「病院臨床」に仕えるための心得が述べられている。


 特に気になる「薬物」については、『患者と主治医の間を円滑につなげるのも、精神科の臨床心理士にとって重要な仕事で、目立たず、黒子のようにして、しかも薬物療法という医師の専売特許を侵すことなく、これらを上手く心理面接の中で扱っていくというのも、大事な能力であり、心理アセスメントの視点である。』と述べている;。
著者は過去、単科の精神科病院、神経科クリニック、総合病院の神経科、大学病院の精神神経科で精神科臨床に従事してきたとのこと。ならば精神病院における多くの病める人々・当事者たちに出合ってきたはずである。が、一人一人の当事者たちの顔が本書からは見えてこない。また、精神科の投薬治療によってどれほど治療効果があがったのか、投薬治療によって当事者たちが脱薬のできない薬物依存症になるリスクなどへの薬害への言及がない。家族や地域社会の人間関係・社会から切り離されて収容される当事者たちの不幸についても言及していない。なによりも「精神病」に対する精神病院自体のエビデンス(治療効果)を問い直してはいない。
「病態水準」のところで、同じ心理職から「心理検査なんてやっていて貴方は恥ずかしくないの?」と言われた経験を紹介し、「表面的に人権派を装えば、抵抗ある心理検査の代表が知能検査であろう。身長を測らなければ低身長かどうか確定できないし、今後の治療で伸びたかどうかも確定できない。」と語る。
どこまでいっても、「臨床」の主体は病院であり医師であり、そこを離れたところで「臨床」が一人歩きすることは許さない、といった一部の医師の感覚に似たもので全体が満たされている。本来の「臨床とは何か」の根本的な問いは、ここには見当たらない。
確かに、臨床心理士資格を持っていても、収入が少なく、将来の生活設計が立てられない心理職が多い現実がベースにある。「臨床心理士と公認心理師の両方を持っていれば、医療現場では公認心理師より『上』の地位を得ることができ、明るい未来が開けますよ!」みたいな誘惑がこの本に感じられる。生活のためにもやむを得ない事情もあるだろう。薬物治療の効果を高く評価する心理職もいるだろう。
どのような現場であれ、どこから収入を得ているかとも関わりなく、臨床の原点、心痛めて病んでいる当事者の側に援助者として立ちきる覚悟があるかどうかが問われているのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・