20230226 東淀川教会宣教要旨 「神との取り引き」ダニエル書9章 マタイ福音書24章 ヨハネ黙示録8章20章21章

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本日の聖書箇所

ダニエル書9章 25節
あなたはこれを知って、悟れ。エルサレムを復興し再建せよとの言葉が出されてから 油注がれた君が来られるまでが七週。また六十二週たつと、その苦しみの時代に 広場と堀は再建される。

マタイによる福音書24章6-13節
戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

ヨハネの黙示録8章 10節
第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から降って来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んでしまった。

ヨハネの黙示録20章 1-3節
また私は、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にして、天から降って来るのを見た。
この天使は、悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇を捕らえ、千年の間縛って、
底なしの淵に投げ込み、鍵をかけ、その上に封印をした。千年が終わるまで、もはや諸国の民を惑わさないようにするためである。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになっている。

ヨハネの黙示録21章 1-4節
また私は、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去り、もはや海もない。
また私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために装った花嫁のように支度を整え、神のもとを出て、天から降って来るのを見た。
そして、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、
目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである。」

宣教題「神との取り引き」

 ダニエル書9章については、第二次世界大戦後、世界のユダヤ人のネットワークの中で、「我々には国家が必要だ。エルサレムという国の復興はダニエル書の中で約束されていた」と、20世紀の建国を正当化するために最も用いられた箇所でした。これは紀元前500年以上前にシリアの王からエルサレムが破壊されたことに対する反発として書かれた黙示文学の一つでした。
 マタイ福音書24章には、世の終わり、終末を語る者たちを警戒せよ、とのメッセージです。
 ヨハネ黙示録20章1−3節に出てくる「千年」云々は、終末はいつどのように実現するのかについて語る人々が用いる「千年王国」論で引用される箇所です。

 ヨハネ黙示録21章3−4節は、神に命を吹き込まれた全ての人が神のもとに召された(戻った)ときの様子・ビジョンを希望とともに描いている箇所として(人間の側の勝手な差別なしに)理解したい。

 ヨハネ黙示録8章10−11節に登場する「苦ヨモギ」はロシア語で「チェルノブイリ」であり、数千年前に書かれたバイブルの文字を現代に当てはめて、現代や未来について語られている、と主張する人々なら、“チェルノブイリ原発事故は遠い昔から予告・警告されていたことであり、原発は危険すぎるので廃炉にすべき”と主張すべきだと思うのですが、終末を語る人々がこれを取り上げないことは不思議です。

 「世の終わり」「終末」は、いつ、どのような形で来るのか来ないのか、とか、先に死んだ者たちは復活するとかしないとか、「千年王国」とか、「最後の審判」とかは、生きている人間たちが紡ぎ出す「神話」なのでしょう。万物も、全てのいのちも神が与え、神が取り上げると感じている人間たちが、神のわざ全体を絵として描いたり、物語ったりするのは、古代神話と同様、昔も今も人間にとって必要なのでしょう。

 しかし、被造物の一つである人間ごときが、神のわざを説明したり規定したり予測するなどは、思い違い、ゴーマンそのものなのでしょう。神様がつくった様々な動植物の中で人間が最も傲慢な生き物なのでしょう。

 傲慢な人間どもが、“生前にこれだけ良いことをしたのだから(悪いことをしなかったのだから)神は死後、私を地獄ではなく天国に、それも特別に高く引き上げてくださるはず”などと考えることは、自分の安心のために神を利用すること、神と取引きすることでしょう。

 イエスも、おそらく「神はあなたがたの願いや取引きに応じる神ではありません」と言うでしょう。同じように、“キリスト教の信徒だけが、洗礼を受けた者だけが天国・神の国に入ることができる、そうでない者たちは入ることができない、と教えている人は、何が神の御心であるかを決めつけている人です。神はあなたの決めつけに従う神ではありません”と言うと思うのです。

 イスラエルとは、もともと国境を持つ国家のことではなく、「神とともに歩む民」のことです。イスラエル国家やキリスト教国家を保証する神などと理解し、犯してきた過ちは懺悔し続けるべきだと思います。

 21世紀の現代も、戦争、飢饉、疾病、災害、天災や自然の異変などに怯え、それを神の意思・計画と解釈し、人間の過ちを悔い改めたり助け合うことよりも、予言をし、世の終わり、終末を叫び、時代の神話を作り出し、冷静な思考を妨げる人々が現れています。人はいかなる患難にも互いに助け合い、耐え忍び、危機に対して冷静であるべきでしょう。

 聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻あり、外典、諸書、未解読のものを含めると更に多くあります。記述された数千年にわたる時代も歴史的背景もそれぞれ異なります。絶望するイスラエルの民を励ますための神話や比喩的な書(黙示文学)もありました。それら全てを一括りに「神の言葉」とし、それらのあちこちを恣意的に引き出し、結びつけ、新たな物語を編み出し、熱狂する人々はいつの時代も現れますが、人類の遺産としての聖書を大切に思うならば、聖書を利用した流言や新たな神話に惑わされるべきではないと思うのです。

  聖書の中心にはイエスがいます。イエスを通して聖書全体を学びたいと願います。

先週の出来事

ふるさと納税って、納める税金の、使い方の一部を「指定」していることになると思うのですが、それならば、“私の納める税金は、軍事費以外に”とか「指定」できたら良いと思うのですが、そのような立法は不可能なのかなあ、と考えるこの頃。そんな「戦争反対」運動が可能なのかどうか、どなたかお教えください。

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