20240602 東淀川教会礼拝 宣教要旨「夫婦って何?」マルコ福音書12章18−27節
聖書箇所 マルコ福音書12章18−27節
復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。 (18)
「先生、モーセは私たちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄のために子をもうけねばならない。』 (19)
さて、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが、子を残さないで死にました。(20)
次男が彼女を妻にしましたが、子を残さないで死に、三男も同様でした。(21)
こうして、七人とも子を残しませんでした。最後にその女も死にました。(22)
復活の時、彼らが復活すると、彼女は誰の妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 (23)
イエスは言われた。「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。 (24)
死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天の御使いのようになるのだ。(25)
死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。(26)
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたがたは大変な思い違いをしている。」 (27)
宣教要旨「夫婦って何?」
この聖書箇所の主旨は、復活あるなし問題ではなく、生存中の親族関係や人間関係が、死後となっても残るか否かいついてのイエスの話が主眼と思われます。夫婦関係や親族関係すら決して永続的、普遍的なものではありませんでした。
多くの植物や動物(ミミズ)は雌雄同体 人類も初期は雌雄同体だった。
女が死んだ夫の兄弟とペアになる→レビラト婚も、男が死んだ妻の姉妹とペアになる→ソロレート婚も“よくあったこと”。
移動を特徴とする民族(イスラエル モンゴル 匈奴 チベット)に顕著。群れの子ども割合の高さは群れの元気さを示す。
近親婚、インセスト・タブーの由来は強い子孫作りか?(雌の奪い合い・戦わせて強い雄とペアとなり強い子を残そうとする本能)
性別意識→人は生まれた最初から性別の自覚があるわけではない。異性との体の違いを知り、自分の身体の性的特徴を知り、そこに意識を適応させていくのが自然過程なのだろう。
意識の性と体の性の不一致はいつの時代もあった。産めない女性も精子のない男性もいた。同性とペアになる人 一人で生きたい人 ペアは望まないが子を育てたい人などもいた。
現代社会のLGBTQ問題 これまでは陰的存在だった“個性”や、自分の性意識を法的に“人権”として保証しようとする現代の風潮。
背景としての医学技術(体外受精・精子や卵子の冷凍保存・受精卵の遺伝子検査・美容整形技術だけでなく、生殖器そのものを外科手術対象とする技術など。
※ドラマ「燕は戻らない」 卵子提供、代理妊娠(貸し腹)
子どもがほしい、という願望がどのようなものであれ、誕生した子どもにとっては関係ないが、幼児期や少年期に両親がいない家庭環境は違和感やコンプレックスを持ち続け易い。親族や親戚や従兄弟から望まない情報が耳に入ることも多い。かつ、育ての親がどれほど隠してもごまかしても、DNA検査など調べる方法はあるし、年齢が高学年になるほど、自分のルーツを知ろうとする思いは高まる。育ての親が隠し続けたり、死別したりすれば、「捨て子」という烙印・スティグマに苦しみ続けることになる。子どもが自分のルーツを尋ねてきたときに、全ての疑問に答えられる準備や、こどものルーツ探しの手伝いは必ず必要なのでしょう。
永続的普遍的自明な婚姻制度などありえない。より多くの友人隣人知人などに祝福される形が子どもにとっても育まれやすい環境であることは確かなのでしょう。