20251123 東淀川教会礼拝宣教要旨「神さまとの取引き?」創世記2章7節 マタイ福音書7章15−27節

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Table of Contents

聖書箇所

創世記2章7節
「神である主は土のちりで人を形造り、その鼻に命の息を吹き込まれた。

マタイによる福音書7章 21-23節

「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。(21)
その日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか』と言うであろう。(22)
その時、私は彼らにこう宣告しよう。『あなたがたのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」(23)

宣教要旨「神さまとの取引き?」

[私に向かって主よ、主よ」という者 → 行動、所作、言葉で主人、王様、親分への忠誠心を表し、役立つことをアピールし、神にとって価値ある者であることを承認するよう求める。神からの承認欲求とも言えます。

「御名によって良いことをして天に宝を積んできた」→神の威光を周囲に知らせてきた。神の名をPRしてきた。良い行いをたくさんした。世の賞賛も得てきた。だから神は私を救う、神は私を天国に入れる責任がある。、合格の自信がある。(神との取引き)

 イエスが伝えた神さまは、人間の取引きに応じる神ではありません。
危険な選民思想の基になった「神との契約」という考え方。
(エデン契約):アダムの神への完全服従で永遠の命が約束。アダムの違反で人は死ぬ存在となった。
(アブラハム契約):アブラハムの子孫がイスラエルの民として祝福されるという約束。
(モーセ契約):モーセを通じてイスラエルの法(律法)が与えられた。

☆出エジプトの出来事は、彼らが「神の民」だったから起こったことではありません。
☆出エジプトの事件そのものが、神を呼ぶ民の声、奴隷状態におかれた人間の解放を求める声に対する、」神の側のわざを記しています。

選民思想は「選民基準」以外の人への蔑みを生み出します。
イエスの“アバ(父ちゃん母ちゃん)”の祈り 
神殿側から言えば、イエスの「自分は神の子」という表現は不遜であり、何よりもアバという軽々しい呼称が神聖な神を疎んじている、と非難された。

イエスの時代、「メシア・救世主待望」思想が広まっており、“イエスこそ神の子・メシアではないか”の声も高まっていた。「全ての人は神の子」というイエスの創世記についての紐解きも、“神の子”という呼びかけに対する“私は人の子”という切り返しも曖昧なメッセージに変えられてしまったと感じられます。

 旧約聖書の創世記2章7節「神である主は土のちりで人を形造り、その鼻に命の息を吹き込まれた。そこで人は生きるものとなった」→人はもともと神の子。この「命の息」は「霊(魂)」を意味し、神の霊が人間に宿ることで、人は神の前で生きる者となった。いつの時代も全ての人が神の子。イエスもそう語っていたはずです。いかなる悪人とされる人であれ、手助けなしに生きられない未熟な命であれ、呼吸を始めた人に「存在の意味や価値を否定されるべき人」はいないというのが聖書のメッセージです。。

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