20251207 東淀川教会礼拝 宣教要旨「人間を怖がらなくていい」マタイによる福音書 10章 26〜31節 宣教担当 金田主任

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Table of Contents

聖書箇所
マタイによる福音書 10章 26〜31節
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠れているもので知られずに済むものはないからである。(26)
私が暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを屋根の上で言い広めなさい。(27)
体は殺しても、命は殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、命も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(28)
二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。(29)
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。(30)
だから、恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れた者である。」(31)

宣教要旨「人間を怖がらなくていい」

 現代の子供たちの死亡原因の第一は自殺です。自室に引きこもったり死を願う子供達にとって(子供だけではありませんが)、一番怖いのは“人間”です。
 現代の子供たちが“人間を怖がらなくていい”というイエスのメッセージに心底で触れることができたらそれは“すごいこと”だと思います。 

 福音書の中で、初期の原始キリスト教団や福音書記者が付加した言葉などを除き、どれが史的イエスの本来の言葉か、を探る研究があります。その中でこの“人々を恐れてはならない(怖れなくていい)”などはまさに確信的なイエスの言葉だと思われます。
 イエスの、“宮清め”と呼ばれる、エルサレム神殿で人々の信仰を利用した商売(神への捧げ物の動物を買わせる商人など)を非難し追い出した事件は有名ですが、そのイエスの戦闘的な激しさに通じるイエスの“怒り”が感じられる箇所なのです。
 有名なマタイ5章39節は「偉そうに攻撃してくる人も恐れてはならない。弱い立場の者を脅し、黙らせ、服従させるのが目的の彼らから、逆らってもよけい酷く攻められると判断したら、右の頬を打たれた場合には左の頬を打たれやすいように差し出す方が、結果的に怪我は少ないだろうよ」というイエスの言葉そのものを感じるのです。
 イエスは、強い力に怯える人々に対して、こんなふうに言っていたんじゃないでしょうか。例えば「あんたのためだからと、たくさんある選択肢の中から一つを選ぶように強要されたり、言われた通りにしないと罪人・悪人・ダメ人間やバカだと言いふらされたり、「〇〇障害」などのレッテルを貼られて分けられたり、病気の患者とか障害者)と決めつけられたり、穢れとかバイキンのように扱われるのを恐れて、隠れるように黙って下を向いてちゃダメだよ」
「陰でこそこそやってる会話があるのなら、それを陽のあたるおもての会話に変えようよ」「私たちの話し合いや会話には、人の悪口も、他人に聞かれたらまずい、隠さなければならないものもない」(オープンダイヤローグ)

「権力や武器で脅して人を屈服させようとする者の思惑にのって屈服したり奴隷になったらあかん」「あんたの命、あんたの存在はあんたのものやない。神さまのものやから、軽んじられるべきじゃないし、あなた自身が自分を軽んじるのは勘違いなんやで」
「二羽の食用雀が三百円で売られているけど、その一羽一羽の雀の命・運命も、神さまが把握してはる。ましてや人の体も髪の毛一本一本も、体の細胞一つひとつまで把握されている。他の人が勝手に決めつける「価値のない人」「殺されていい人・殺されるべき人」などいるわけはないし、そう決めつけるのは頭でっかちの、社会的な力を持っている、傲慢な人間の、大きすぎる間違いやで」等々のことばに置き換え可能だと思います。

 そんなイエスの言葉に心弾ませながら聞き入っていた子供たち、少年少女たち、若者の姿を想像したいのです。 今、私が「人間を恐れるな」のメッセージで真っ先に思い浮かぶのは「中村哲」さんです。次週は銃撃され神様の元に引き戻された中村哲さんについて学び、もう一度「人間を恐れるな」のイエスのメッセージを聞き直したいと思います。(ノーベル平和賞はトランプ大統領ではなく、中村哲さんにこそ相応しい)

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