20260201 東淀川教会礼拝宣教要旨「障害者?」ヨハネによる福音書9章 1-4節
2026年2月2日
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聖書
ヨハネによる福音書9章 1-4節
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。(1)
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」(2)
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(3)
私たちは、私をお遣わしになった方の業を、昼の間に行わねばならない。誰も働くことのできない夜が来る。(4)
宣教要旨「障害者?」
『生まれつき目の見えない人』は、その人の事情や状態を具体的に言葉で表現しており、個人の理解を共有し合う、助け合うために良い表現だと思います。「おいおい、そこを歩いているめくらさん、そのまま進んだら、一間先の道路に大きな穴が空いて危ねえぞ!」などという声かけはやさしい声かけです。「盲人」も「めくら(目が暗い)」も「きちがい(互いの気持ちが違いすぎて読めない)」、そのようなニュアンスが含まれていたようです。
「障害者」という言葉は個人の事情や状態をあらわしておらず、学者や役人たちが、様々な個性を持つ人々を抽象的な概念で分類して分けるため、ラベリングし管理するために編み出されたものだと思います。
「障害」は悪因悪果や祟りによるものではなく、一定の割合で視覚障害や聴覚障害などの障害(機能不全)は誕生と共に現れ、その少数の人たちが障害とそれに伴う困難を引き受けてくれるから、“多数者たる五体満足”が成り立つ、という「障害」理解はあるが、音声や文字や指で意思疎通ができる「五体満足」を「普通」とする社会環境はいつの時代もハンディを持つ人にとって生きづらい環境であるのは確かでしょう。
周囲の人々が「障害」の重荷と、共に生きる喜びとを分かち合う関係の中に、神さまが吹き込んだ命の栄光が表される、と本日の聖書箇所を理解したいが、抽象的な概念過ぎてどこか腑に落ちなさが残る。そもそも「障害」という概念そのものが抽象すぎる。そもそも「障害者」なんていう人間はいないんだ! 「障害者」と「健常者」という区分け自体がおかしいんだ!という主張や叫びはずっとありました。私の中にもこの違和感はずっと残っています。
津久井やまゆり園事件の植松聖の“障害者”理解は、五体満足社会にとってのお荷物であり、会話や意思疎通が困難な重度の障害者から命を処分(安楽死)するべきであり、自分が処分を実行するのでその功績を安倍晋三首相に認めてほしい旨を書き記しています。
これまでの福祉関連施設は行政が地域の篤志家や協力者たちにお願いするかたちで始まり、情熱とともに集まった人たちよる村づくり、福祉法人化された施設のネットワークが中心でした。世話する側や世話される側などをはっきり分けられない、お互いの顔や心模様が見える家族的な社会がありました。利益を上げることはできず、運営はいつも困難が伴い、職員の給与も低く、そこからの行政に対する要求、注文も大きかった。
安倍政権の時代、精神医療・精神病院、老人や障害者の介護・養護施設、養護特別保育などの公的分野に株式会社の参入を積極的に進めていました。株式会社とは、利益を生み出し、株主に利益を配当するのが目的です。株式会社にこれらの事業へ参入させることは、行政からの措置費などが主な収入源と思われますが、飲食店におけるお客の回転率と同様、サービスの対象者、入所者の選別と、回転を高める仕組みづくりに励むことになるような気がします。
様々な国家資格や免許を持つ職員が、マニュアル通り、規則通りに、施設にとって理想的な生活の仕方を規則通り入所者に強いていくとき、ストレスは高まり、入所者の入退院・回転も高まるという悲しい想像してしまいます。
私自身が老人であるため、誰もが障害者となっていく老人介護に関して言えば、お互いの顔や心模様がさっと浮かぶ家族や血縁や仲間・友人と助け合ったり介護したり介護されたり、足らないところはお金を出し合って有料の介護者を共同で雇う、老後の在り方を自分たちで設計する、そんな入所者が主人であるシステム作り、村づくりが至急に必要だと思っています。
参考資料
事件2016年7月26日 神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」元施設職員(2年半)の植松聖が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件。
衆議院議長大島理森様 この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
『障害を持つ息子へ』 神戸金史(kanbe Kanebumi) 記者 ブックマン社
私は、思うのです。長男がもし障害を持っていなければ。あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。私は、考えてしまうのです。長男が、もし障害を持っていなければ。私たちはもっと楽に暮らして生けたかもしれないと。
何度も夢を見ました。「お父さん、朝だよ、起きてよ」長男が私を揺り起こしに来るのです。「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」夢の中で、私は妻に話しかけます。そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。言葉の喋れない長男が、騒いでいます。何を言っているのか、私には分かりません。ああ。またこんな夢を見てしまった。ああ。ごめんね。幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。いずれ「お前のお兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。そんな朝を何度も過ごして、突然気がついたのです。弟よ。お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう。生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。お前は優しい、いい男に育つだろう。それから、私ははたと気付いたのです。あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、それまでとは違う人生を生きてきた。親である私たちでさえ、あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。ああ、息子よ。誰もが、健常で生きることはできない。誰かが障害を持って生きていかなければならない。
なぜ、今まで気付かなかったのだろう。私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。交通事故に遭って、車椅子で暮らす小学生が、雷に遭って、寝たきりになった中学生が、おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、実は私の周りには、いたはずだ。私は、運良く生きてきただけだった。それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、私の代わりに、障害を持って生まれてきた。老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。事故で、唐突に人生を終わる人もいる。人生の最後は誰も動けなくなる。誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。
息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。息子よ、そのままで、いい。それで、うちの子。それが うちの子。あなたが生まれてきてくれてよかった。私はそう思っている。 父より。