20260315 東淀川教会礼拝 宣教要旨「神の子らにあんたら何してんねん!」申命記32章 マタイ6章26節 マタイ10章28節
申命記 32章1~5節 聖書箇所(聖書協会共同訳)
天よ、耳を傾けよ、わたしは語ろう。地よ、聞け、わたしの語る言葉を。(1) わたしの教えは雨のように降り注ぎ わたしの言葉は露のように滴る。 若草の上に降る小雨のように 青草の上に降り注ぐ夕立のように。(2) わたしは主の御名を唱える。御力をわたしたちの神に帰せよ。(3) 主は岩、その御業は完全で その道はことごとく正しい。
真実の神で偽りなく 正しくてまっすぐな方。(4) 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ その傷ゆえに、もはや神の子らではない。(5)
マタイによる福音書6章 26,27節
空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って
くださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。(26) あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。(27)
マタイによる福音書10章 28~32節
体は殺しても、命は殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、命も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(28) 二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。(29) あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。(30)
だから、恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れた者である。」(31)
「だから、誰でも人々の前で私を認める者は、私も天の父の前で、その人を認める。(32)
宣教要旨「神の子らにあんたらなにしてんねん!」
一箇所に定着定住しない縄文人や遊牧・狩猟・移動生活をする人々だからこそ、天の下には肌色も文化も異なる“ひとびと”がいることを体験的にも神話的伝承としても知っており、すべてが天の神にいのちの息を吹き込まれた同類、兄弟姉妹であることを直感的に理解していた。戦いや殺し合うことを避け、天の恵みを分かち合い、共存を目指していた。 国家が生まれ、力や武力で相手を威圧したり、土地や自然を独占したり奪い合うことにより部族・民族や国家の戦争・殺し合いが続くようになった。全ての自然や全てのいのちの創造主である神を畏れなくなった。固有の国や民族の守護神だけが“神”になり、異なった神が固有の人間の戦場に担ぎ出された。
イエスが語り続けたのは、全ての自然もあらゆる動植物の命も神のものであり、“ひとびと”とは神の子たちであり、神の子ではない人の子はいない。いのちは神によって与えられ、神のもとに帰る。そのことをイエスは鳥や野の花などこどもにも理解できることばで語り続けた。人を貴賤や優劣で分け疎外する人々に対してイエスは“神の子たちの側に立ち、神の子を迫害”するシステムや人々を告発し続けたと思われます。
イエスだけを“神の子・メシア”として宣教した初期キリスト教会によって、ひとはみな神の子というイエスのメッセージは打ち消され続けたと思われます。