20260419 東淀川教会礼拝宣教要旨「お金って何?」 マタイ福音書20章1−16節

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マタイによる福音書20章 1-16節

「天の国は、ある家の主人に似ている。主人は、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けとともに出かけて行った。(1)

彼は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。(2)

また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場で立っている人々がいたので、(3)

『あなたがたもぶどう園に行きなさい。それなりの賃金を払うから』と言った。(4)

それで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろに出て行って、同じようにした。
(5)

五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と言った。(6)

彼らが、『誰も雇ってくれないのです』と答えたので、主人は、『あなたがたもぶどう園に行きなさい』と言った。(7)

夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい。』(8)

そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。(9)
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたが、やはり一デナリオンずつであった。(10)
それで、受け取ると、主人に不平を言った。(11)

『最後に来たこの連中は、一時間しか働かなかったのに、丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いをなさるとは。』(12)

主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。
(13)
自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。(14)

自分の物を自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、私の気前のよさを妬むのか。』(15)

このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(16)

 

 

 

 

 

 

 

“参考箇所”
マタイによる福音書6章 26節
空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。
  宣教要旨「お金(貨幣システム)って何?」 
副題 “食べ物は全ての口に神から用意されている”

 お金か、お金に交換できる物がなければ、生存のための最低限の食べ物すら手に入らない現実は、現代社会だけでなく、1世紀のパレスチナにもあったようです。
 そもそも穀物や肉類や野菜や果物や魚類などの食料は神様が自然を通して全ての人の子(神の子・人間)に十二分に与えられており、動物たちがそうであるように、人も労してそれを手に入れ、分かち合うことができる。神が全ての人の胃袋を満たす食べ物を地上に生やし海に泳がせ、手に入れられるようにしてくださっているのに、人の作った貨幣がその邪魔をしているのは間違っている、と語っていたと思われます。

 イエスたちが行っていた炊き出し(五つのパンと二匹の魚など)運動がどんどん広がっていった(残ったパン屑が大きく膨らみ次の炊き出しの元となった)ことも理解できます。

イエスの譬え話の、朝から働いた者にも、夕方から働いた者にも同じ1デナリ(1日分の日当)の約束をしているとは、神は自然の中に、全ての人間や動物たちの食料を用意している、という意味なのでしょう。神が無償で用意している生存に不可欠なもの(取って食べよ!)を、独占的に収穫し商品化しお金がなければ食べられないようにしていることが間違っている!みたいな響きが伝わってきます。
 たとえ、1デナリの約束で働いたとしても、夕方から働いた者が1デナリなら、朝から働いた者はせめて3〜5デナリ貰わないと(払わないと)オカシイ! 貨幣経済が成り立たない!と文句を言う者は、神さまの気前の良さ、慈しみの広さ、愛の大きさに嫉妬しているのか?。空の鳥よりも人間は賢い存在ではなかったのか?と手厳しい。
“神様が貧しい人々の生存に必要な食料をただで渡そうとしているのに、購入する銭がなければダメだなんてほざいてるのは誰や!”なんていうイエスの怒りの台詞が思い浮かびます。
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