20260503 東淀川教会宣教要旨「骨と肉による家族」マルコ福音書10章1-12節
マルコ福音書10章1−12節
イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側へ行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。(1)
ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは許されているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。(2)
イエスは、「モーセはあなたがたに何と命じたか」と問い返された。(3)
彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。(4)
イエスは言われた。「あなたがたの心がかたくななので、モーセはこのような戒めを書いたのだ。(5)
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。(6)
こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、(7)
二人は一体となる。だから、もはや二人ではなく、一体である。(8)
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(9)
家に戻ってから、弟子たちは再びこのことについて尋ねた。(10)
イエスは言われた。「妻を離縁して他の女と結婚する者は、妻に対して姦淫の罪を犯すことになる。(11)
夫を離縁して他の男と結婚する者も、姦淫の罪を犯すことになる。」(12)
宣教要旨「男・女ではなく、骨と肉による家族」
イエスが歩まれた時代と地域は大人の男中心の世界。神イメージも「父なる神」が当たり前の形容詞。「父母なる神」とは唱えない。(東淀川教会での主の祈りは“天におられるすべての親なる神よ”から始まる) 大人の女は男に従属すべき存在、ないしは男の「所有物」理解が一般的で、特に権力者たちや金持ちなどは古い妻をさっさと離縁し新しい妻と取っ替えたがりました。周辺の異邦人世界では、財力や権力があれば多数の妻を持つことができる民族もありました。バプテスマのヨハネもですが、イエスもまた男たちのエゴで女たちを取っ替え引っ替えしている姿を非難していたのでしょう。
モーセの“離縁するなら離縁状を渡せ”は、「離縁はイカンけれども離縁がやむを得ない場合は、セメテ出された女が再婚したり仕事で雇われたりする場合、元の“所有者”から自由であることを証明するものを持たせなさい、という意味であり、離婚を合法化するものではなかったのに合法化の手段として用いられていたようです。イエスはそれを“姦淫罪(死罪)”として非難・攻撃していたようです。
妻の取り替え問題だけでなく、女性を情欲に満ちた目で眺めている男たちを非難していると思われる箇所があります。エルサレム神殿には礼拝に、男たちが入れる場所から女たちは分けられ(婦人の間)ていました。その婦人たちを高いところからニヤニヤ眺めている祭司長や律法学者ら男たちの眼があったのでしょう。
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。」マタイ5章27-29節
神は人を男と女に作った → どちらが先に作られた?生命誕生38億年前。 単性生殖の期間は20億年間ですべて雌・女・母からのみ生まれたようです。同じ遺伝子を持つクローン人間ばかり。
オスとメスによる有性生殖は10億年前から始まったようです。つまり、オス・男はメス、女から作られた(分けられた)と言うのが生物学的には正しいようです。
オスメス、男女の有性生殖によって遺伝子のシャフリング →新たなDNA組み合わせ 個性のバリエーション→多様性 →新たな細菌や新たなウィルスへの抵抗が生み出されたとのこと。
→ 動物の世界におけるオスのリーダー争いも、強い、賢いオスのDNAを残すための知恵なのでしょう。
男のプライドの残滓が蔓延る現代社会。同性婚、同性パートナーに光が当たらなかった時代を超えて今は21世紀。同性婚承認の国、partnership制のある国→オランダ(2001) ベルギー(2003)スペイン(2005) カナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランド、アルゼンチン、デンマーク、ブラジル、フランス、ウルグアイ、ニュージーランド、英国等。 世界のおよそ半数の国が同性婚を承認する現代。
一つの屋根の下で共に生きる伴侶のあり方。子どもたちや老人を含めた、家を構成する人の在り方を展望するとき、男女関係なく“ついにこれぞわたしの骨の骨 肉の肉” という創世記の言葉が、家族の在り方を考える上で大きなヒントになりそうな気がするのです。