20260607 東淀川教会聖霊降臨節第三主日礼拝 マルコによる福音書6章 45-52節「イエスが助けに来てくれた!」

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Table of Contents

本日の聖書箇所
マルコによる福音書6章 45-52節
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間にご自分は群衆を解散させられた。(45)
そして、群衆と別れると、祈るために山へ行かれた。(46)
夕方になった頃、舟は湖の真ん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。(47)
イエスは、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜明け頃、湖の上を歩いて弟子たちのところへ行き、そばを通り過ぎようとされた。(48)
弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声を上げた。(49)
皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐに彼らと話をし、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と言われた。(50)
イエスが舟に乗り込まれると、風は静まった。弟子たちは心の中で非常に驚いた。(51)
パンのことを悟らず、心がかたくなになっていたからである。(52)

マタイによる福音書14章27−33節
イエスはすぐに彼らに声をかけ、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と言われた。(27)
すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いて御もとに行かせてください。」(28)
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。(29)
しかし、風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。(30)
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。(31)
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(32)
舟の中にいた人たちは、「まことに、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(33)

宣教要旨「イエスが助けに来てくれた!」
本日の聖書の箇所は、イエスの仲間たちのイエスに対する想い、“この人は本当に神様に用いられ、神様に守られているんだ”という信頼、確信のようなものが描かれていると感じます。

 ガリラヤ湖 東西13km 南北21km 琵琶湖の25%ほどの面積

「5つのパンと二匹の魚」から始まったイエスと共なる食事で数万人の胃袋が満たされたという奇跡のような出来事に続き、イエスや仲間たちに様々なことを相談しようとする群衆、依存しようとする人々を解散させ、振り切るためにも、夕方、まだ明るいうちにガリラヤ湖のティベリアスから仲間たちを舟で向う岸のベトサイダに向けて出発させたと思われます。ティベリアスの町はガリラヤ湖の、時計でいえば八時くらいの位置でしょうか。ベトサイダの町はガリラヤ湖の北北東にある町。舟だと直線で18キロほどの距離か。激しく疲れているはずのイエス自身は、休息と祈りのため徒歩で北上し、北部の小高い山に登り、ガリラヤ湖の北東にあるベトサイダに移動したと思われます。イエスの仲間たちが乗った舟は北からの吹き下ろしの風に阻まれて湖のどこかで動けなくなっていた。

 イエスが移動した距離は山に登っても陸路で24キロほどか。陽が登る朝方までにベトサイダ周辺に到着していても不思議ではない距離です。陽が登る前の薄明かりで、カファルナウムやベトサイダ周辺の岸辺から、強風のため動けなくなっていた湖上の舟を確認し、何らかの方法で舟に接近したとも考えられます。あるいは、もっと東側に回り込んだ岸から舟に接近したのかもしれません。身動きできなくなっていた舟の位置は不明ですが、太陽が登り始めてから湖上には太陽から舟まで陽光のベルトができ、その上を自分たちに向かって湖面を歩くように歩んでくるイエスを幻視できたのだ、と解釈をする説教者もいます。

 イエスがどこからどのようにして舟に近づいたかはわかりませんが、イエスが仲間たちを心配し、探し、救出に向かったのは確かだと思われます。イエスの、共に働く仲間たちへの熱い想いを感じます。“イエスは湖の上をスタスタと歩いてこられた”という既視体験は、イエスが神様にしっかりと導かれ守られている、という、イエスに対するそれまでの日々の実感から生み出されたイメージなのでしょう。

 マタイ福音書の記事はマルコの記事をベースとして書かれ、イエスに対して依存的かつ、イエスといると大胆に活動できるのに、イエスがいないと急に不安になったり間違った判断をする「おっちょこちょい」のペテロの反応を書き加えています。

 五つのパンと二匹の魚による奇跡を仲間たちも体験した直後です。イエスは神様に用いられ、守られている、という希望や確信と、イエスと運命を共にすることへの拭いきれない不安や疑心暗鬼とがペテロの行動に現れているのでしょう。
 マルコ福音書の4章35節以下、マタイ福音書の8章23節以下では、仲間たちと一緒に舟で移動していた時、突風で船が危険な状態になったのにイエスはぐっすり寝ていたので、「私たちが溺れてもかまわないのですか!」と叫び、イエスを自分たちの保護者のように責めたとあります。イエスの背後で働いている神の働きに想いを馳せることは、イエスを肉眼で見ている間はなかなか難しかったのでしょう。

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