20260705 東淀川教会礼拝宣教要旨「隣人を思いやる言葉“最低でも県外” マルコ福音書14章46−52節

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

Table of Contents

聖書箇所/マルコによる福音書14章 46〜52節
人々は、イエスに手をかけて捕らえた。(46)
そばに立っていた者の一人が、剣を抜いて大祭司の僕に打ちかかり、片方の耳を切り落とした。(47)
そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。(48)
私は毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたがたは私を捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」(49)
弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。(50)
一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスに付いて来ていた。人々が捕らえようとすると、(51)
亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。(52)

宣教要旨「隣人を思いやる言葉“最低でも県外”」

イエスが武装した人々に捕まり連行されていく。「その時が来たら」。正義でも習俗でも安全のためでもなく、武力だけが周囲を支配し始めた時、かねてよりイエスは「その時は山に逃げよ」『互いに守り助け合いながら逃げよ』と語ってきた。「イエスのことも反乱者たちのことも私たちは関係ない」と言いながら逃げよ」を思い出し、蜘蛛の子を散らすように仲間たちは逃げ去った。逃げたくない、イエスから離れたくない、全てをそばで見届けようとする仲間がいた(マルコ福音書の記者との意見も多い)、なぜ麻布一枚で裸だったのか。おそらく軍人或いは武装している人たちに逮捕されそうになったとき、裸が最も素早く逃げられると判断したのだろう。

 亜麻布の青年はギリギリまで何を見極めようとしていたのでしょうか。イエスが呼びかければ簡単に大きな暴動は起きたのでしょう。暴動が発生すれば、“戦争”が広がったのでしょう。が、イエスはすべての攻撃を一身に集め、“最低でもイエス一人の処刑”に納め、暴動・戦争を許さなかった。若者はそのことを理解したのでしょう。まさに、イエスの策略?で、集団的な反乱とは見做されず、実際イエス一人の処分(死刑)に収まリ、残党狩りなどは起きなかったようです。

 21世紀にワープします。2009年の自民党政権から、民主党が政権を担うことになった時、普天間基地移転問題が浮上しており、鳩山由紀夫内閣は、沖縄だけに押し付けられている米軍基地維持のための負担を沖縄以外の地が負担する、わずかでも沖縄の苦しみを減らしていくことに国民の同意が得られることを願っていた。日米安保条約・地位協定の見直しやらを言い出したわけではなかった。ただ、沖縄だけに敷いられている重い負担を、他府県か、海外かに振り分ける道を探っていただけだった。沖縄という家族・兄妹の負担を減らす、分担しようとしたこと(良きサマリア人の教え)。が“最低でも県外”の叫びで鳩山政権の祈りは、ニュースを聞いていた日本人のどれほどの人々に通じたのでしょうか? 今でも「最低でも県外」の言葉を覚えている日本人はどれほどいるのでしょうか。

 日米合同委員会での会議の方向性は、戦後の歴代自民党首相と米国側との協定、約束、密約、日米合同会議で話されていることが大前提で行われていた。驚くことに鳩山内閣・鳩山首相には、日米合同会議の実態すら知らされていなかった。どれほど新内閣が新たな提案をしても、辺野古での基地拡充方針は、新首相が知らなかった日米合同会議ですでに決まっていたのです。新たな移転先など検討できるはずもない… そういうことだったようです。これほど日本の首相がコケにされ、おちょくられたことはなかったのではと思います。

 辺野古基地問題以前に、日本はいつまで米国・米軍との軍事協定を「無くてはならぬ国防」とし続けるのでしょうか。
この国の今の課題は、主権国家でない現実を公にすること(日米合同会議の内容を国会議員すら知ることができない。マスコミも情報公開の働きを放棄している)。主権者である住民、国民が主権を取り戻していくことだと思いますが、それは本当に可能なのでしょうか。

参考資料

米軍による沖縄占領の開始(1945年)沖縄戦を経て、米軍による軍政が敷かれ土地の強制接収が始まる。
由美子ちゃん事件(1955年)嘉手納村で6歳の少女が米兵に拉致・惨殺され、全島的な抗議運動が起こる。
島ぐるみ闘争(1956年)米軍による土地の強制収容に対し、県民が立ち上がる(土地を守る闘争)。
ジェット機墜落(1959年)石川市の宮森小学校に米軍機が墜落、児童や住民ら17名が死亡する大惨事。
コザ暴動(1970年)米軍車両による人身事故をきっかけに、住民の怒りが爆発した最大規模の反米蜂起。
沖縄返還(1972年)アメリカから日本へ施政権が返還され、沖縄県が復活(沖縄県警察の発足)。
沖縄県平和祈念資料館の開館(1978年)沖縄戦の惨相を後世に伝えるための拠点が開館。
糸数アパート爆発事故(1993年)不発弾が爆発し、児童を含む多数の死傷者を出した戦後処理を象徴する事件。
米兵少女暴行事件(1995年)米兵による少女暴行事件が発生し、日米地位協定の見直しを求める県民大会に発展。
平和の礎(いしじ)完成(1995年)糸満市摩文仁。国籍・軍人・民間人を問わず沖縄戦の死者全員のモニュメントが建立。
普天間基地返還合意(1996年)日米両政府が普天間飛行場の全面返還について合意する(移設問題の長期化の始まり)。
沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件(2004年)普天間飛行場所属の米軍大型ヘリが沖縄国際大学の構内に墜落・炎上。
辺野古新基地建設の本格化(2010年代〜2020年代)名護市辺野古での埋め立て工事で国と県の対立が続く。
オスプレイ墜落(2016年12月) 普天間基地周辺で連続してオスプレイが墜落。
2019年(令和元年)10月31日未明に発生した火災により正殿、北殿、南殿など主要な9施設が全焼。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です