20260816 東淀川教会宣教要旨 「マルコとは誰か」
聖書箇所マルコ14章50−52節
弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。(50)
一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスに付いて来ていた。人々が捕らえようとすると、(51)
亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。(52)
使徒言行録12章5−12節
こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神に献げられていた。(5)
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。(6)
すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロの脇をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ち(7)
天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、付いて来なさい」と言った。(8)
それで、ペトロは外に出て付いて行ったが、天使のしていることが現実のことだとは分からず、幻を見ているように思えた。(9)
第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門のところまで来ると、門がひとりでに開いたので、外に出て、通りを進んで行くと、突然、天使は離れ去った。(10)
その時、ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」(11)
そうと分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。(12)
宣教要旨「マルコとは誰か」
十字架に引き立てられるイエスの最も近くにいて、“イエスとは何者か”を確かめようとし、捕まりそうになって裸で逃げ去った若者がマルコ福音書の記者自身であるという聖書学者は多い。本日はこの若者がマルコ福音書の記者であり、イエスや仲間たちと一緒に行動していたわけではないマルコが、ペテロがローマに招かれた時は通訳として働くほどペテロに付き従い、イエスの語った言葉などをペテロから聞いて書き記したことを前提として話したいと思います。ペテロの説教に感動したローマの人々から、ペテロの口伝をマルコに書いてほしいと頼まれた(エウセビオス『教会史』)とあり、マルコ福音書は、“ペテロから学んだマルコによるイエスについての福音書”とも言えそうです。
使徒言行録12章12節ではマルコの母の名がマリアであり、彼女の家は二階建で大勢の人が集まることができ、最後の晩餐・過越の食事もここで行われ、迫害時は隠れ家として用いられ、さらにはペンテコステ(聖霊が降り注いだ)が起こったのもこの家であった、との伝承もあります。若き日のマルコがイエスの仲間たちと親しみ、十字架以前のイエスについてはペテロの弟子となって学び、パウロの第一回宣教の旅に同行し、ペテロがローマの人々に招かれ赴いた時は、同行して通訳の仕事をした、とあります。
パウロによる第二回の伝道旅行に、第一回に同行していたマルコがパウロから同行を拒否された理由は、マルコが伝道旅行の途中に、エルサレムに帰ったからだとか理由が挙げられていたようですが、実は、ペテロから学んだマルコのイエス像と、パウロの宣教で語られるイエス像にズレが大きくなっていったからではないかと感じられるのです。もともとパウロはイエスとは直接会っていませんし、パウロの諸教会への手紙の中でも、イエスが病んでいる人々とどう接し、彼らがどう癒されていったかというほとんど描かれていないのです。
パウロの描くイエスは高みにあるメシア、救世主、復活の主が中心で、マルコやペテロが描くイエスは地上を歩む、この世の「しんがり」に置かれている人々を支える、とりなすイエス像とはかなり開きがあります。ガリラヤから再び歩み出す復活のイエス像もパウロにはないイエス理解だと思われます。