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20241201 東淀川教会礼拝宣教要旨「人が求めるしるし」マタイ福音書12章39節、16章1−4節 ルカ福音書12章54−57節
本日の聖書箇所(聖書協会訳)
マタイによる福音書 12章 39節
イエスはお答えになった。「邪悪で不義の時代はしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
マタイによる福音書16章 1〜4節
ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。(1)
マタイによる福音書 16章 2節
イエスはお答えになった。「あなたがたは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、(2)
マタイによる福音書16章 3節
朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時のしるしは見分けることができないのか。(3)
マタイによる福音書16章 4節
邪悪で不義の時代はしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そう言って、イエスは彼らを後に残して去って行かれた。(4)
ルカによる福音書12章 54〜57節
イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。(54)
また、南風が吹くと、『暑くなる』と言う。事実そうなる。(55)
偽善者よ、このように地や空の模様を見定めることは知っているのに、どうして、今の時を見定めることができないのか。」(56)
「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。(57)
本日の宣教要旨「人が求めるしるし」
預言者ヨナが主に求めたものはすべてアベコベに現れることで主の栄光が示された。「ヨナのしるし」以外は与えられない、とは、人が主に求める勝手な思い、求める“しるし”と主の思い、主なる神の計画はひっくり返るほど異なる、というイエスのメッセージです。
空模様や天候状態で明日の天気を知ることはできるのに、なぜ今の時・時代を読むことをしないのか、とイエスは語ります。
時代のしるしについて、西南戦争以降の“軍事国家日本”による「空気の一方的支配」が常態化し、天気ならぬ“時代の空気”を感じ取り、自分を適応させ、そこに“水を差す”ことが許されなくなった(山本七平著「空気の研究」とあります。
2007年にはKY(空気を読めない人)という、人を揶揄する言葉が流行した。
「今の時代を何に喩えたら良いのか。広場に座っているこどもの歎き「笛を吹いたのに踊ってくれなかった 葬式の歌を唄ったのに悲しんでくれなかった」マタイ11章16−17節
子どもにでもわかる、人の喜びや歎き悲しみを感じ合う“共感力”がおとなの社会から失われていることのイエスの語りです。
これはそのまま現代社会に当てはまります。
“子どもの問題”ではなく本質的には社会や学校、おとなたちの問題です。
社会から“共感力”が失われていったことの「しるし」として「がっこう」を取り上げます。
1990年から20年間で、教師の精神疾患による休職者が約5倍になった、との報告、記録があります。「指導力不足教員」が吹聴され、卒業式などでの日の丸掲揚・国歌斉唱の強制が行われ、生徒のみならず教師の従順度が試されました。
2000年の学校教育法施行規則一部改正によって、職員会議は校長の学校運営を補助する機関に位置づけられ、教員たちの意思決定の機関ではなくなりました。それまで、職員会議は民主的な議決の場でした。
教員への評価が給料に反映される、教員評価制度が導入され始めました。政府は2006年に「教育再生会議」を設置し、教育行政への首相主導が強まりました。地方でも首長が教育長を任命するようになり、教育委員会への首長の権限が強化されていきました。
2007年には、教職員免許の更新制度を導入。同じ年に副校長、主幹教諭、指導教諭という役職が新たに設置され、職位による階層化が強化され、戦後は民主政治の拠点だった学校は、校長が経営する1つの企業のようになりました。
“学級崩壊”以前に、学校から民主主義は崩壊していました。
※私自身はスクールカウンセラーとして1997年から2022年まで小学校から高校まで関わりましたが、「学校」に対しては何も出来ませんでした。
参考資料(近年の「学校」のしるし)
1990年 学校での国旗掲揚、君が代斉唱義務づけ始まる。
教職員の精神疾患増加
1998年 「ゆとり教育」の学習指導要領が出される。
「学級崩壊」「キレる子」が話題に。
2000年 学校の職員会議が学校運営の決定機関でなくなる。
2002年 文科省調査(空気を読めない子の調査 75項目)
2004年 発達障害者支援法 発達は脳の障害→薬物治療へ
2006年 政府「教育再生会議」設置。教育行政への首相主導
発達障害児 約7千人
教育基本法改定 規律規範重視 学力向上重視
2007年 教職員免許更新制度 副校長 主幹教諭 指導教諭
「全国学力・学習状況調査」(学力テスト)
2010年 教職員の精神疾患による退職 1990年代の5倍に。
2011年 学力低下を理由に脱「ゆとり教育」授業時間増加。
2019年 発達障害児 約7万人
2021年 小中学校不登校 24万5千人
2022年 不登校(小)10万5千人(中)19万4千人(高)6万人
2023年 自殺した子ども513人(高)347人(中)153人(小)13人
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次週の礼拝は、中部学院大学人間福祉学部の教授で高木総平牧師が担当してくださいます。ぜひお越しください。
次週の宣教題は「マリアの信仰」です。
若干の高木牧師の紹介です
岐阜いのちの電話の理事。ユング派の臨床心理士。カルトからの救出活動。著書「カルト問題・心理臨床の立場から」
宣教内容についての感想やご意見、近況の分かち合いより
教会の結婚式で司式する牧師が発することば「神が合わせられたものを人は離してはならない」を、イエスのことばとして理解し、“離婚は罪である”と考えている、乃至は感じているクリスチャンが多いことについて、礼拝語、意見交換が行われました。また教会には結婚式の式文はあるのに、離婚式やその式文がないのは何故か、について語り合いました。
東淀川教会からのお知らせ
6月16日午後2時から、演劇鑑賞会、関西ツイッター仲間の交流会・ティータイムが東淀川教会でありました。芝居だけでなく個性豊かな諸活動家の皆さんで、ペチャクチャがとても楽しかった。お野菜までいただきました。感謝。
東淀川教会「こども喫茶室」の日時を、毎週日曜日の午後1時からに変更します。お待ちしています。
毎月第一月曜日の昼12時から午後5時までという設定で、こどものための喫茶室を毎月開いていましたが、利用者がいなくなりましたので、教会の都合もあり、日時を毎週の礼拝後に変更しました。。
紅茶でも日本茶でもコーヒーもお茶菓子でも無料です。本の持ち込みもご自由です。
東淀川教会週報20240602-2870 こども喫茶202407
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いただいた投稿
20210822 宣教題「死者に語っていただく」について
ヨナ書のお話に出てくるニネベの街の物語は、ヨナとニネベの人たちの疫病対策の物語のように思うのは僕だけでしょうか?
ヨナは単に滅びるとだけニネベに警鐘したのではなく、きっと疫病などの理由(根拠)をちゃんと伝えたのではないか?あるいはニネベの人たちが警鐘の理由を知っていた乃至気づいたのではないか?(でないとヨナは単なる狼少年か、妄想癖・虚言癖人間になり、信用してもらえない)
ニネベの人たちが粗布を身にまとい灰の上に座るのは滅菌消毒対策。人も家畜も何一つ口にしない、食べることも水を飲むこともしないのは経口感染対策。人も家畜も粗布を身にまとい、ひたすら神に向かって叫び求めるのはソーシャルディスタンスを想起させる。
コロナ対策でも、正しく信頼できる情報さえ伝われば、人はマスクや消毒、距離など、自発的にちゃんと感染対策を取れる力がある。しかし「自粛しろ」「オリンピックで盛り上がれ」との全く矛盾する情報や政策は、コロナの感染爆発を引き起こした。
今の政府は災いを自分たちで防いだヨナとニネベを見習ったら!とつくづく思うのだがどうでしょう。
from T.Seisan
※聖書を通して響いてくるメッセージを、“今” “ここ” “わたし” へのメッセージとして受け取ること、更に、復活したイエスがガリラヤから出発し、今も私たちの前を歩んでくださり、その声を今ともにここで聴くことの重要さをあらためて感じさせられました。ヨナのことば「ニネベは滅びる!」が空振りに終わったとしても、ヨナが嘘つきと言われようと、ニネベの人々や行政責任者が断食を行い、生活の仕方や人間関係を自分たちの手でリセットしたこと自体、自分だけを義としたい観念的な悔い改めではなく、具体的行為としての悔い改めだったのでしょうね。今こそ、ヨナとニネベの人々、為政者に見習うべきですね。例えばですが、声を出して会話することを避けるために、若者が最低限の手話を覚えるとかが実現したらいいなと思います。頭の硬い老人の私も学ぼうと思います。(金田恆孝)
20210808 東淀川教会宣教要旨「どん尻の連帯」について
コロナ禍によって、人間のための文化の価値が高まり、人間にとっての必要性も高まっていると思います。その文化とは、演劇、音楽、映画、美術、学問、宗教と多様で、しかもリモートではなく、「生」(生の舞台、生の鑑賞、生の体感、生の対話)が益々大事になっているのではないでしょうか。コロナに負けずに、教会の「生」の礼拝に集いましょう。日々や自己を振りかえる、金田牧師の「生」の宣教が聞けます。しかも礼拝後に宣教の率直な感想を「生」で話し合えます。何と「文句」でもいいというのがめちゃ素敵です。経験上そんな教会は滅多にありません。元気になります。楽しくなります。場合によっては「目からウロコ」で「見える者」になれます。この教会には「生」の文化の魅力があります。 from T.Seisan
※礼拝もライブ配信している教会も増えていますが、やはりイエスの十字架の元に体を運び、友と直接集える恵み、今の思いや祈りを分かち合うことができたことを「東淀川教会史」として刻み続けたいと願います。金田恆孝
20210801 東淀川教会宣教要旨「現代の律法主義」について
0801の金田牧師の宣教も色々考えさせられ楽しかったです。律法=マニアル=形に囚われて、これが創られたそもそもの目的を忘れ、これを守ること自体が目的になってしまう(外れる者を攻撃する)ことは、現代でもよくあることです。これは、自分の私利私欲や言い訳(責任回避)を隠して、あたかも公(みんな)の問題であるかのようにすり替える論法としてよく使われます。これを見抜いて、みんなが幸せになるため、あるいは運動や物事を前進させるための、本音、本質での話し合いに持っていくことが、民主主義=コミュニケーションの神髄、醍醐味であろうと思います。そうすれば多数者である「見えない者」は、真実や本質が「見える者」に変化、成長できます。だから、現代の変革や革命は「自由なしゃべくり」「しゃべくり合い」によってなされるものと信じています(しゃべくり変革、しゃべくり革命)。
誰でも命を吹き込まれた神の子。死んだらだれもが神のもとに帰る”という、明るいシンプルなメッセージに同意、共感します。
科学的な探求が進むほど、宇宙の中で、地球の誕生、有機物の誕生、生命の誕生、多様な生き物や人間の誕生、出産など、それぞれの誕生や出産自体が数多くの条件がそろわないと生まれない、みんな等しく奇跡的なことだと分かってきています。イエスの教えは正にこの認識につながります。from T.Seisan
※金田の耳の障害?老化?で、「自由なしゃべくり」の腰を折り、会話のリズムを乱し、「なんですか〜?」としつこく何度も聞き返すことがありますが、堪えて、諦めず、しつこく、老人介護の練習と思ってリピートしてください。金田恆孝
20210523 礼拝宣教要旨「地獄はない」について
「地獄へ落ちる」とは誤った観念(迷信)、人を支配する方便にすぎません。でも、自分たちでつくった誤った観念で人を支配や攻撃しようとする人たちは、結構身近にもいます。迷信に惑わされないためには、事実を集めて真実を導き出し、賢く認識や反証する必要がありますね。 from T.Seisan
※天地創造にも出てこない「地獄」なんて怖くもないのですが、天にあげられ、神の前に立つ(神の御顔を仰ぐ時、という表現がありますが)とき、生きていたときの全ての謎が解ける、という希望があります。それと同時に、私の一生が川の流れのように映し出され、「お前さんはあの△△の時、○○に対して、心の中で言い訳して、□□から逃げただろ!」とか、人を悲しませたこととか、誤魔化したこととか、いっぱい、いっぱい、叱られそうで、恐怖もあります‥ 金田
※ いかなる批判的なコメントでも、必ず掲載させていただきます。辛辣なご意見もお寄せください。
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