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20240908 東淀川教会礼拝宣教要旨「ユダの福音書7章」

※ユダの福音書(意訳)底本「解読 ユダの福音書」J.ファン・デル・フリート著 戸田聡訳

ユダの福音書七章

1 ユダは言った。「私が視た幻についてお聞きください。」

2 何をこだわっているのですか。お聞きしましょう。

3 幻の中で、12の集団が私に石を投げつけながら追ってくるのです。
あなたの後を追って、とても大きな草屋根の家にたどり着きました。
多くの人々がそこにいました。どうか、多くのその人たちとともに、私も受け入れてください。

 

宣教要旨「草で葺かれた大きな家とは」

夢は無意識からの我が意識に向けた声でもあるが、聞き捨てならない“神からの声”としか思われない場合がある。これはどの民族であっても「神・乃至は超越者からの声」として聴いたことのない民族はないだろう。

「ユダの夢」の12は、イスラエル十二部族の12でもあり、初期キリスト教における12使徒の12でもあり、様々な古代神話にも現れる完全数や全体を表す12でもあるのでしょう。

 イエスは信頼していた友からお金で売り渡され、すべての仲間は逃げ去り、神からも見捨てられ、ユダ王国やローマに反乱を企てた道化師として嘲笑され、十字刑で晒しものとなって絶命する道を選んだ。そのイエス逮捕劇の導入部での、欠かすことの出来ない役割を担ったユダは、その後のキリスト教世界が伝承し証明た如く“裏切り者のユダ”という烙印は消えない。
 七章の「ユダの夢」は、ユダの永遠に消えない苦悩だけを表しているとは思えない。それは3節で、ユダは“永遠に”迫害され続けるのだが、ユダは「とても大きな草屋根の家」に辿り着くのです。草・植物の葉で葺いた屋根の家とは、通常は数家族しか住めない小屋しか想像できませんが、おそらくこの「草葺きの大きな家」とは、災害や戦争や迫害、難民、民族虐殺などから神の子たちを守る、「神が備えた守り」を象徴しているのでしょう。
 なによりも、ここでユダが、自分の運命だけを嘆いているのではなく、「どうか、多くのその人たちとともに、私も受け入れてください。」と祈っているところに、ユダの夢の本質が現れていると思われます。

 すべての国々から排斥され受け入れを拒否される難民問題は歴史を越えて今も続いている人類の課題です。ナチスドイツ軍によるユダヤ人の大量隔離・虐殺「ホロコースト」を後世に伝えるため、1944年に生まれたのが「ジェノサイド(genocide)」という言葉ですが、今日のイスラエルが行っているパレスチナ・ガザ地区への攻撃と、イスラエル国内からの激しい抗議行動にすら耳を傾けようとせず停戦の話し合いの席に着こうとしないイスラエル軍の姿勢は、パレスチナの人々の目からみれば、ユダヤ国家がジェノサイドに取り憑かれていると見えるのでしょう。

 

教会員、Mさん(車椅子で礼拝に参加されている堺市の女性72歳)が生還しました。

 最近体調が悪く、自宅の車椅子から床に落ちて、腕力や体力が衰え、自力で車椅子に戻れなかったりがあり、8月14日にケアマネージャーとともに金田の車で近くの病院で受診しました。発熱も続いていて、状態が悪いのでしばらく入院させて検査をしてほしいとお願いしましたが、点滴と解熱剤処方で返されました。8月15日に熱は下がっても状態がよくないため、ケアマネージャーが救急車を呼び病院受診を依頼したら、偶然、前日受診した病院に運ばれ、そこで胸部のCT写真を撮ったら心臓周辺が大きく膨らみ動脈解離の疑いで、すぐに松原市徳洲会病院に運ばれ、午後四時半から十時、五時間半の大手術になりました。医師の説明によると、解離した動脈からの出血で「心タンポナーデ」状態、とても危険な状態だったようです。

8月24日に病院から連絡があり、本人の脅威の回復力によりICUから一般病棟に移ることになりました。が、コロナが流行しており、病院自体が面会を禁止している状態です。医師から近々Mさんの病状についての説明があるので、そのときに面会は出来るでしょう、とのことでした。

 今回のできごとの反省ですが、ケアマネージャーさんの判断で、救急車を呼んだことで、病院側がCT検査を行い、心不全、心部肥大が見つかったため、Mさんは“危機一髪”助かりました。隣人の健康状態に不安を感じ、精密検査を受けてほしいと思ったとき、自力で運ぶよりも、救急車を呼ぶことを躊躇しない方が良い、と思わされました。自分自身のことも含め、高齢になれば数年に一度くらい胸部や腹部、脳のCT検査かMRI検査は必要だなと感じました。


 

 

 

宣教内容についての感想やご意見、近況の分かち合いより

 教会の結婚式で司式する牧師が発することば「神が合わせられたものを人は離してはならない」を、イエスのことばとして理解し、“離婚は罪である”と考えている、乃至は感じているクリスチャンが多いことについて、礼拝語、意見交換が行われました。また教会には結婚式の式文はあるのに、離婚式やその式文がないのは何故か、について語り合いました。

 

東淀川教会からのお知らせ

6月16日午後2時から、演劇鑑賞会、関西ツイッター仲間の交流会・ティータイムが東淀川教会でありました。芝居だけでなく個性豊かな諸活動家の皆さんで、ペチャクチャがとても楽しかった。お野菜までいただきました。感謝。

東淀川教会「こども喫茶室」を始めてます。次回は9月2日月曜日 昼の一二時からです。お待ちしています。

6月3日(月曜日)より、毎月第一月曜日の昼12時から午後5時まで、こどものための喫茶室を毎月開いています。
紅茶でも日本茶でもコーヒーもお茶菓子でも無料です。本の持ち込みもご自由です。

 

東淀川教会週報20240602-2870 こども喫茶202407

いただいた投稿

20210822 宣教題「死者に語っていただく」について
ヨナ書のお話に出てくるニネベの街の物語は、ヨナとニネベの人たちの疫病対策の物語のように思うのは僕だけでしょうか?
ヨナは単に滅びるとだけニネベに警鐘したのではなく、きっと疫病などの理由(根拠)をちゃんと伝えたのではないか?あるいはニネベの人たちが警鐘の理由を知っていた乃至気づいたのではないか?(でないとヨナは単なる狼少年か、妄想癖・虚言癖人間になり、信用してもらえない)

ニネベの人たちが粗布を身にまとい灰の上に座るのは滅菌消毒対策。人も家畜も何一つ口にしない、食べることも水を飲むこともしないのは経口感染対策。人も家畜も粗布を身にまとい、ひたすら神に向かって叫び求めるのはソーシャルディスタンスを想起させる。

コロナ対策でも、正しく信頼できる情報さえ伝われば、人はマスクや消毒、距離など、自発的にちゃんと感染対策を取れる力がある。しかし「自粛しろ」「オリンピックで盛り上がれ」との全く矛盾する情報や政策は、コロナの感染爆発を引き起こした。

今の政府は災いを自分たちで防いだヨナとニネベを見習ったら!とつくづく思うのだがどうでしょう。 
from T.Seisan

※聖書を通して響いてくるメッセージを、“今” “ここ” “わたし” へのメッセージとして受け取ること、更に、復活したイエスがガリラヤから出発し、今も私たちの前を歩んでくださり、その声を今ともにここで聴くことの重要さをあらためて感じさせられました。ヨナのことば「ニネベは滅びる!」が空振りに終わったとしても、ヨナが嘘つきと言われようと、ニネベの人々や行政責任者が断食を行い、生活の仕方や人間関係を自分たちの手でリセットしたこと自体、自分だけを義としたい観念的な悔い改めではなく、具体的行為としての悔い改めだったのでしょうね。今こそ、ヨナとニネベの人々、為政者に見習うべきですね。例えばですが、声を出して会話することを避けるために、若者が最低限の手話を覚えるとかが実現したらいいなと思います。頭の硬い老人の私も学ぼうと思います。(金田恆孝)

20210808 東淀川教会宣教要旨「どん尻の連帯」について
コロナ禍によって、人間のための文化の価値が高まり、人間にとっての必要性も高まっていると思います。その文化とは、演劇、音楽、映画、美術、学問、宗教と多様で、しかもリモートではなく、「生」(生の舞台、生の鑑賞、生の体感、生の対話)が益々大事になっているのではないでしょうか。コロナに負けずに、教会の「生」の礼拝に集いましょう。日々や自己を振りかえる、金田牧師の「生」の宣教が聞けます。しかも礼拝後に宣教の率直な感想を「生」で話し合えます。何と「文句」でもいいというのがめちゃ素敵です。経験上そんな教会は滅多にありません。元気になります。楽しくなります。場合によっては「目からウロコ」で「見える者」になれます。この教会には「生」の文化の魅力があります。 from T.Seisan

※礼拝もライブ配信している教会も増えていますが、やはりイエスの十字架の元に体を運び、友と直接集える恵み、今の思いや祈りを分かち合うことができたことを「東淀川教会史」として刻み続けたいと願います。金田恆孝

20210801 東淀川教会宣教要旨「現代の律法主義」について
0801の金田牧師の宣教も色々考えさせられ楽しかったです。律法=マニアル=形に囚われて、これが創られたそもそもの目的を忘れ、これを守ること自体が目的になってしまう(外れる者を攻撃する)ことは、現代でもよくあることです。これは、自分の私利私欲や言い訳(責任回避)を隠して、あたかも公(みんな)の問題であるかのようにすり替える論法としてよく使われます。これを見抜いて、みんなが幸せになるため、あるいは運動や物事を前進させるための、本音、本質での話し合いに持っていくことが、民主主義=コミュニケーションの神髄、醍醐味であろうと思います。そうすれば多数者である「見えない者」は、真実や本質が「見える者」に変化、成長できます。だから、現代の変革や革命は「自由なしゃべくり」「しゃべくり合い」によってなされるものと信じています(しゃべくり変革、しゃべくり革命)。
 誰でも命を吹き込まれた神の子。死んだらだれもが神のもとに帰る”という、明るいシンプルなメッセージに同意、共感します。
科学的な探求が進むほど、宇宙の中で、地球の誕生、有機物の誕生、生命の誕生、多様な生き物や人間の誕生、出産など、それぞれの誕生や出産自体が数多くの条件がそろわないと生まれない、みんな等しく奇跡的なことだと分かってきています。イエスの教えは正にこの認識につながります。from T.Seisan

※金田の耳の障害?老化?で、「自由なしゃべくり」の腰を折り、会話のリズムを乱し、「なんですか〜?」としつこく何度も聞き返すことがありますが、堪えて、諦めず、しつこく、老人介護の練習と思ってリピートしてください。金田恆孝

20210523 礼拝宣教要旨「地獄はない」について
「地獄へ落ちる」とは誤った観念(迷信)、人を支配する方便にすぎません。でも、自分たちでつくった誤った観念で人を支配や攻撃しようとする人たちは、結構身近にもいます。迷信に惑わされないためには、事実を集めて真実を導き出し、賢く認識や反証する必要がありますね。 from T.Seisan

※天地創造にも出てこない「地獄」なんて怖くもないのですが、天にあげられ、神の前に立つ(神の御顔を仰ぐ時、という表現がありますが)とき、生きていたときの全ての謎が解ける、という希望があります。それと同時に、私の一生が川の流れのように映し出され、「お前さんはあの△△の時、○○に対して、心の中で言い訳して、□□から逃げただろ!」とか、人を悲しませたこととか、誤魔化したこととか、いっぱい、いっぱい、叱られそうで、恐怖もあります‥ 金田

※ いかなる批判的なコメントでも、必ず掲載させていただきます。辛辣なご意見もお寄せください。

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