20221030 宣教要旨「従属のバプテスマ」「神の子」マタイ5:9 使徒言行録2:38 使徒言行録2:43-45 使徒言行録8:18-20 使徒言行録9:17-20

本日の聖書箇所

マタイによる福音書5章 9節
平和を造る人々は、幸いである その人たちは神の子と呼ばれる。

使徒言行録2章 38節
そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。

使徒言行録2章 43-45節
すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。
信じた者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売っては、必要に応じて、皆がそれを分け合った。

使徒言行録/ 08章 18-20節
シモンは、使徒たちが手を置くと霊が与えられたのを見、金を差し出して、
言った。「手を置けば、誰にでも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と共に滅びるがよい。神の賜物が金で手に入ると思っているからだ。

使徒言行録9章 20節

すぐ諸会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。

:使徒言行録9章 17-19節
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼(バプテスマ)を受け、食事をして元気を取り戻した。

宣教の要旨「神の子への従属のバプテスマ」

イエスが十字架で死刑に処せられた出来事の後、“イエスこそ唯一の神の子”という「神学」が成立したと思われます。しかし「神の子」という概念はもっと広いものでした。

申命記32章5節には「彼らは主に対して悪を行い、その汚れのゆえにもはや神の子らではない。よこしまで曲がった世代だ。」は、神に祝福された世代、多数の人々がいたことを前提としています。

 マタイ福音書5章9節の「平和を造る人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」も複数・多数の人々を想定している言葉です。

 ホセア書2章1節「あなたがたは生ける神の子らと言われる」も同じように複数形です。


 イエスの宣教は、“人はもともと神の子なのだ。神の子に帰ろう。神の子としての尊厳・尊厳を奪われている人のそれをともに取り戻そう”だったと思われます。



平和を造る人々は、幸いである その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイによる福音書5章 9節)
 お金は神が作ったものではなく、人間が作り出したものです。このお金は人間たちを進化させたのでしょうか。幸福をもたらしたものでしょうか。

おそらく、イエスは、お金がなくても不自由しない、お互いが支え合い生かしあえる社会が理想的な社会なんだ、と人々に語っていたと思われます。 


「平和を造る」とは、 “困ったときにしてほしいことを隣人にしよう。それが平和を作り出すことなのだ”というイエスのメッセージが人々の心の中に残っていたからこそ、全てのものを共有し、食べ物も分かち合い、困ったことも分かち合い、食卓にともに座る光景が実現したはずです。


 それらが“イエスこそ唯一のメシアであり、唯一の神の子”という教え・神学に変わり、そのイエスに従属することが救われる条件であり、従属の儀式がバプテスマである、というように変化したのだと考えられます。


 “一人ひとりがかけがえのない神の子であり、奪われ見失っている神の子の尊厳を一緒に取り戻そう。私(イエス)への従属ではなく、この世への従属ではなく、神の子として自立しよう。互いに支え合って神の子らの平和を取り戻そう”というイエスの言葉(福音)に各々が応答する、然りと答える、それが洗礼・バプテスマだと理解しています。

先週の出来事

選挙で勝つために「カルト」と癒着してきた戦後の「第1党」の姿が少しずつ明らかにされています。特定のカルト団体とこれからは手を切る、というトカゲの尻尾切りではなく、全ての癒着関係を明らかにし、政教分離のあり方、選挙制度のあり方をも含めて徹底的に洗い直さなければならないところに来ている、と思います。皆さまとご意見を交わしたいと願います。



20221023 宣教要旨「逆立ちしたバプテスマ」イザヤ書53:4-5 マルコ10:34-38 マルコ10:45 ルカ12:49-53

週報№2786 降誕前 第9主日礼拝

本日の聖書箇所

イザヤ書53章 4−5節
彼が担ったのは私たちの病 彼が負ったのは私たちの痛みであった。しかし、私たちは思っていた。彼は病に冒され、神に打たれて 苦しめられたのだと。
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。
マルコによる福音書10章 34〜38節
異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、鞭打ち、殺す。そして、人の子は三日後に復活する。」
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、
二人は言った。「栄光をお受けになるとき、私どもの一人を先生の右に、一人を左に座らせてください。」
イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼(バプテスマ)を受けることができるか。」

マルコによる福音書 10章 45節
人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

ルカによる福音書12章 49〜53節
「私が来たのは、地上に火を投じるためである。その火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか。
しかし、私には受けねばならない洗礼(バプテスマ)がある。それが終わるまで、私はどんなに苦しむことだろう。
あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
今から後、一家五人は、三人が二人と、二人が三人と対立して分かれることになる。
父は子と、子は父と 母は娘と、娘は母と しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと 対立して分かれる。」

宣教の要旨「逆立ちしたバプテスマ」

 イエスも受けたヨハネからのバプテスマとは、「神の怒りを受け止める」「悔いる」「悔い改める」ことを本義とした水によるバプテスマ(洗礼)だった。人の側からの自主的、主体的行為です。

 イエスの言葉として描かれている「この私が飲む盃を飲み、この私が受ける洗礼(バプテスマ)を受けることができるか」(マルコ)あるいは、「私には受けねばならない洗礼(バプテスマ)がある。」(ルカ)においては、イエスの処刑(十字架)が、イエスの引き受けたバプテスマとして表現されている。神の怒りを引き起こした罪への償い、罪の対価、罰、神の怒りを鎮めるための生贄、というような意味合いを含むバプテスマであり、それを求める「神」が主体です。そこに“逆立ち”があります。

 なぜイエスはたった一人惨殺されることを引き受けたのか。イエスはイザヤ書の示した「執り成しの受難者」神の求める「生贄」を自身の活動の結末と重ねていたのでしょうか。
 イエスが十字架に引き渡される前の最後の晩餐。それは「目に見える体としてのわたしはいなくなるが、例外のないすべての人々と、パンと葡萄の汁を分かち合い飲むことを目指す食卓にわたしはいつまでも一緒にいる」という別れの食卓と思われますが、死刑・十字架の出来事と復活の証言のあと、イエスをキリストと告白する教会が生まれ、“十字架=イエスが引き受けたバプテスマ”として教理化され、パンをイエスの体として食べ、葡萄の汁をイエスの血としていただく、という教団入信の儀式が成立したと思われますが、この「教会の教理」が、後から書かれた福音書に「イエスの言葉」として取り込まれた、と思われます。

 「バプテスマ(洗礼)」の言葉・概念は、「イエスの受難・十字架」を表す言葉として教会で解釈され、悔い改めて古い自分自身を十字架に架け(いったん滅ぼされ)、イエスとともに復活し、永遠の生命を得る希望を保証される、重要なしるしとなり、「イエスこそ救い主」を旗印とする初期キリスト教団の入団儀礼であり救われるための条件儀礼となったわけです。

 「私が来たのは、地上に火を投じるためである。…あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」のメッセージは、“バプテスマを受けることによって救われたい。永遠の生命を得たい”という願望・バプテスマ理解とは逆立ちしているのでしょう。

 イエスの復活信仰には大きく分けて二つあると思われます。一つは、復活したイエスは天におられ、終末の時に地上に現れ(再臨)、死んだキリスト者たちを永遠の生命へと復活させる、という信仰。もう一つは、復活したイエスはガリラヤから新たな旅を続けていて、姿を変え、今もこの世界の中で歩んでおられる、という信仰です。

 世のしんがりに置かれた人々を支え、すべての人を神の子とし、助け合う人間関係を築くイエスたちの運動は、それを本気でやればやるほどユダヤ社会のピラミッド構造の国家体制を蔑ろにするものだったはずです。意見が別れ、分裂・対立が引き起こされます。更に、そのような活動が国への反逆と判決されると、首謀者たちや同調する者たちを根絶やしにしようとする迫害も続いたはずです。それがたった一人の見せしめ刑で終ったこと自体が驚きですし、“イエス以外の受難者を出さない”計画遂行のために、イエスとユダとの間に「密約」があったと思うのです。

先週の出来事

富士山5合目から下って事故を起こしたバスはAT(オートマチック)車だったのだろうか?まだ若い運転手はマニュアル車の、低いギアで速度を落としながらブレーキシステムの加熱を防ぐ運転の体験がなかったのだろうか? クラッチ操作もギアチェンジもいらないATは便利ですが、システムが提供してくれる「便利」さは「盲点」を必ず内包していると思うのです。所詮、おバカな私たち人間が作ったものですから。

20221016 宣教要旨「怒りのバプテスマ」イザヤ54:14-17 ルカ3:7-13

イザヤ書54章 14〜17節
あなたは正義によって揺るぎなく立てられる。虐げから遠ざかれ。恐れることはない。恐れからも遠ざかれ。それが近づくことはない。
見よ、攻撃を仕掛ける者があっても それは私から出たのではない。あなたを攻撃する者は、あなたの前に倒れる。
見よ、炭火をおこし、武器を作り出す職人も 私が創造した者。それを破壊するために滅ぼす者も 私が創造した者。
あなたに対して造られる武器は どのようなものであれ役に立つことはない。裁きの時 あなたと対立する舌がどのようなものであれ あなたはこれを罪に定めることができる。これが主の僕たちの受け継ぐもの 私から受ける彼らの正義である――主の仰せ。

ルカによる福音書3章 7〜13節
そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒され、火に投げ込まれる。 群衆は、「では、私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。


宣教の要旨「世への怒りのバプテスマ」

(「虐げ」という言葉に込められた意味)
 権力者による権力を持たない者への一方的な支配も、定めた「敵」を虐げる戦争も、人間関係における、神の正義を失った状態、罪をイザヤは『虐げ』という言葉で表現していると思います。人間関係の、虐げる側からも恐る側からも反逆する側からも遠ざかり、神の正義を求めよ、とイザヤは語っていると感じられます。

 武器を作り出す者も、武器を用いて戦争をする者も、応戦する者も、神が創造した者たちであり、どちらにも神の正義はなく、裁きの時は主が滅ぼす、あなた方が裁いてはならない(反乱も戦争である)というメッセージに聞こえます。

 神の怒りから逃れたい、救われたい、と願って洗礼を希望する人々に対し、ヨハネは「世に対する神の怒りから逃れられると思ってはならない。逃れることはできない。ただ、神の世に対する怒りの前に、悔い改めるなら(あなたが変わろうとするなら)、悔い改めにふさわしい実を結べ」と語ります。

ヨハネは一人ひとりに対し変革を迫っているのであり、バプテスマは、決して神の怒りから逃れられる、救われるための条件として語られているわけではありません。神の怒りを伝えるヨハネのメッセージは、個人に向けられた面と、支配者たちに向けられたや面との両面性を持っていたと考えられます。

これが原始キリスト教団成立後は、主に「神と個人の関係」で理解され、やがてローマの国教となる頃は、社会や世の悪に対する神の怒りの面は弱められ、個人が救われる条件・選ばれた民の資格・選民思想として理解されるようになってしまった。だから「国教」になることができたのでしょう。

 イエスの時代、富める者、豊かな者と「貧しい者」の格差は著しく大きかった。そこにおける「悔い改めに相応しい実を結ぶ」とは何か、との問いへのヨハネの応答、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物も持っている者が持たない者に分けてやれ。」とは、19世紀にマルクスの語る共産主義についての言葉、「すべてのものは私有物から共有物に変わる」が思い浮かびます。

ヨハネも「富める者」の独占的な私的所有を無効化していくことが「神の正義」を実現することだと確信していたのでしょう。マルクスもまた、貨幣がなければ不可欠な物が得られないという経済的な「虐げ」をどのように減らしていくかを考え抜いたのでしょう。イザヤの“虐げから離れよ”の言葉を、現代の「今、この時代」で受け取りたいのです。

「古人の跡を求めず 古人の求めしところを求めよ」(空海)の言葉があります。古の変革論を踏襲するのではなく、バプテスマのヨハネの言葉や、イエスの言葉とともに、格差が見えにくい形で極端に広がった現代社会の課題を、教会でこそ、ともに考え、「悔い改めに相応しい実を結ぶ」道を祈り求めたい。

※芭蕉の名句 「先人たちの、遺業の形骸(ぬけがら)を追い求めるのではなく、その古人の理想としたところを求めなさい」は、空海の『性霊集』にある「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ」に拠った言葉である、と説明されている。

先週のできごと

 マイナンバーカードを広めようとする河野大臣のコメントに「デジタル社会のパスポート」という言葉が特に目立ちます。国外ならいざ知らず、国内でも「パスポート」が必要になりますよ!と聞こえます。この国の住民が、国内で身分証明書、パスポートがいつも必要になる、そうしなければ公的なサービスも受けられない? 不審者として扱われる? ありのままの人ではいられなくなる? そんな国になることだけはなんとしてでも避けたいものです。

20221009 宣教要旨 「癒しのバプテスマ」イザヤ42:6-7 マタイ10:1 ヨハネ9:10-11

本日の聖書箇所
イザヤ書42章 6-7節

主である私は義をもってあなたを呼び あなたの手を取り、あなたを守り あなたを民の契約とし、諸国民の光とした。目の見えない人の目を開き捕らわれ人を牢獄から闇に住む者を獄屋から連れ出すためである。

マタイ福音書10章1節

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒やすためであった。

ヨハネによる福音書5章2-9節
エルサレムには羊の門のそばに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。その回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が行く間に、ほかの人が先に降りてしまうのです。」イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
ヨハネによる福音書/ 09章 10-11節
そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねて私の目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」

宣教の要旨「癒しのバプテスマ」

主なる神が立ち上がり、「目の見えない人の目を開き、牢獄、闇に住む人を連れ出す」とイザヤを通して語り、イエスやその仲間も主のお手伝いを始めた、と理解するのが至極まっとうです。世に対いて、神による上からの世直しではなく、最後尾、しんがりからの改革であり、それに倣ったイエスたちの行為は、闇に置かれた人々の奴隷状態、呪縛状態からの解放であり、それが病んでいる人の治癒の結果として現れていると理解すべきなのでしょう。



 イエスが直接「洗礼・バプテスマ」を人々に施したと思われる箇所は聖書に見当たりません。
 イエスやイエスたちによって行われたのは、倒れている人に飲み水を持って駆けつけることであり、金もなく助けてくれる人もない人々への、汚れた体を拭く「清拭」であったり、ベトサダやシロアムの池での水浴であったり、薬草などを用いた民間療法だったり、一人ひとりの話を聞くカウンセリングだったり、主からのメッセージ・「福音」を伝えたりの行為であったと思われます。働き人が必要と12人を派遣したのもそのためだったと思われます。その様々なわざが、神の子たる個々人に向けられた、神の祝福(元気)を取り戻すわざであったと思われます。


 神の祝福を取り戻すための、水を用いた多くのわざ、治癒行為が、原始キリスト教団が成立したあと、イエスの行為、十字架の出来事全体を「イエスによるバプテスマ」として受け取る信仰が生まれ、キリスト教への入信儀礼としての洗礼・バプテスマへと変化したのでしょう。



 アジア諸国や日本でも古来より水浴(滝に打たれる)や全国各地の温泉療法や、水を用いた民間療法などはありました。

 イエスたちによって行われたそれらのわざが、安息日に行われたとか、神殿の祭司の了解をとらずに勝手に行われたことが、神殿を怒らせたのでしょう。今日の医療システムに置き換えてみれば、医師でもないのに、医師への相談もなく、治療行為をおこなった“違法行為・医師法違反”にあたると思われます。通貨は国家が定めるごとく、病気や治療は国家に委託された医師(神殿祭司)が診断し定めることにより国の秩序は保たれる、みたいなものなのでしょう。日本で、明治5年1872年,それまで民間医療の多くを担っていた修験者たちに対し、修験禁止令が出された背景と共通していると思われます。

先週の出来事

ロシア軍が占拠するウクライナ南部ザポリージャ原子力発電所で、露軍の砲撃が激化し、緊張が高まっているとのこと。敵を滅ぼし勝つためには何でも利用しようとするのが人間であり、戦争の本質なのでしょう。戦争を止められない人間には、神によって封印されていた原子力を使う資格もなく、主に返上すべきなのでしょう。

 

20221002 宣教要旨「総懺悔運動のバプテスマ」イザヤ書15:3 ヨナ書3:5 マタイ3:11-17

本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書 15章 3節

巷では人々が粗布をまとい 屋上でも広場でも すべての者が叫び声を上げ、泣き崩れる。

ヨナ書3章 5節
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった。

マタイによる福音書3章 11~17節
私は、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私の後から来る人は、私より力のある方で、私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。
その手には箕がある。そして、麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる」その時、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼(バプテスマ)を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「私こそ、あなたから洗礼(バプテスマ)を受けるべきなのに、あなたが、私のところに来られたのですか。」
しかし、イエスはお答えになった。「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
イエスは洗礼(バプテスマ)を受けると、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのを御覧になった。
そして、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

宣教の要旨「総懺悔運動としてのバプテスマ」
 創世記の大洪水物語(ノアの方舟物語)は、水を用いて神が世を滅ぼす・リセットするお話でした。二度と水によって滅ぼさない、という約束があり、“次に神が世を滅ぼすのは火を用いる”という言い伝えが旧約聖書・新約聖書のあちこちに残っています。火による洗礼・バプテスマという概念は、個人に対して行われるものではなく、世・町・全体に対して行われるイメージでした。

 イエスの時代。イスラエル(ユダ)の民は、神に選ばれた、穢れのない、清い民でなくてはならない、という“選民思想”がとても強く、人を「清い人」と「穢れた人」とを分ける考え方、穢れた人は神から罰を受け永遠に遠ざけられる、という、シンプルですが根強い感覚がありました。異邦人がイスラエルの信仰に改宗するとき、神殿で水に身を浸し体を清めてから改宗の儀式を受けていたようです。日本人にとっての“禊ぎ(みそぎ)”の儀式とほぼ同じです。神殿に仕える人々も、ファリサイ派やサドカイ派などの熱心な人々は、水に身を浸して清める儀式をとても重要視していました。


 バプテスマのヨハネは、身を清めることで自らを聖別しようとする傲慢な信仰、儀式を批判し、神の怒りからは誰も逃げられないし、受けなければならないことを告げました。更に、逆にこの儀式を利用して、イスラエルの民全体に向けられた神の怒りを受け止め、嘆き、悔い、粗布を巻いて断食する代わりに、「神の怒りを受け入れる懺悔のバプテスマ」を人々に呼び掛けました。いわば“総懺悔運動”のデモンストレーションのごときイメージだったと思われます。ヨハネは、イスラエルの民が主なる神に向かって総懺悔することを提唱しただけではなく、自分を清い者として聖別したがる、王や為政者、神殿の指導者たちを非難し攻撃し、その罪を暴き、「悔い改めてまことの懺悔をしろ!」と迫りました。その結果、捕まり、殺されたわけです。
 この総懺悔運動に、イエスも、「水によって滅ぼされる洗礼・バプテスマ」を、授ける側でなく、受ける側として参加したのだと思われます。

 『一億総懺悔』という運動が提唱されたことがありました。太平洋戦争敗戦直後、この「一億総懺悔」を提唱したのは戦後最初の首相に任命された東久邇宮成彦王(ひがしくにのみやなるひこ)だったとのこと。西欧での長期留学経験を持つ皇室の彼に白羽の矢が当たり、戦時中も戦争を一刻も早く終わらせたかった彼は、ポツダム宣言受諾後も強く残っている、外国人への敵対心、被害者意識、憎しみを取り除くにはどうすればよいかと考え、日本基督教団の加賀乙彦に相談したとのこと。受けた相談を加賀は日本基督教団本部に持ち込み、そこで「早急に国民に呼び掛けて、過去における生き方、考え方を反省し、懺悔をする運動を起こしたらどうか」と、教団幹部たちとともに原案を作成し、それを内閣に提案した加賀は内閣の参与として招かれ、それが「一億総懺悔」首相提案という形になった(Wikipedia)とのことです。新聞報道などで世に出ましたが、GHQによる戦後体制の主導、戦争犯罪に対する極東軍事裁判主導の方針とぶつかり、わずか54日間の短命政権となった、とのこと。

 もしも、モシも、この「一億総懺悔運動」がこの機会に広がり、日本人の中で深められたならばどうだったのか、と想像するのです。提灯を持って“一億総熱狂”し、個人のいのちよりも「国体」こそ守らなければならないと信じた愚かさ、馬鹿馬鹿しさに気づき、軍部、政治指導者への批判だけではなく、戦争に追従し、身内を戦地に送り、隣国・アジア諸国を力で支配し、アジアの人々を虫ケラのように扱い、銃や竹槍を持って最後まで戦おうとした、生き残った人々それぞれの「罪」に目醒め、心の底から悔い改める大きなきっかけになったのではないかと(願望とともに)思うのです。「もし、あの時、◯◯が△△であったなら」と考えることは、単なる後からの願望であり、当たっているわけではありませんが、ただ、徹底的な総懺悔の機会を失ったまま、「総懺悔してこなかったツケ」は今も残り続けているのは確かなことです。



 一方、東久邇宮成彦王を通じて、国民に一億総懺悔を呼びかけさせながら、国体翼賛体制として発足し、戦闘機を献上し、戦争協力し、満洲伝道と称して、中国大陸侵略に協力した「日本基督教団」自体もまず総懺悔すべきでしたし、解体・再出発するのが「本筋」ですが、国体護持同様、「教団護持」のまま今日に至っています。戦後の社会福祉をリードしたと言われる加賀乙彦氏も天皇皇室・国体護持を掲げ、優生・選民思想の強いキリスト者でした。総懺悔とともに、国体護持幻想と、イエスの語る「神の国」の違いについて徹底的に教会の内と外で議論されるべきでした。
 私たち「教会」は、懺悔の仕方を、悔い改めを「ニネベの町」から学び直す必要があるのでしょう。

先週の出来事
インフレ・物価高騰への流れが加速。水道光熱費、食品価格が高騰。年金暮らし、失職者、生活保護家庭など社会的弱者を直撃し始めています。あちこちで悲鳴が、鳴き声が上がり始めています。国葬や、軍備拡張している場合ではないと思うのです。