20201220 東淀川教会礼拝宣教要旨「ネバーギブアップ」

イザヤ書 9章 5節
一人のみどり子が私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

マタイによる福音書 2章13〜16節
 博士たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げ、私が告げるまで、そこにいなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ退き、
 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。
 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、激しく怒った。そして、人を送り、博士たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいる二歳以下の男の子を、一人残らず殺した。
 その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。/激しく泣き、嘆く声が。/ラケルはその子らのゆえに泣き/慰められることを拒んだ。/子らがもういないのだから。」

応唱 我らの祈り
 今日、東淀川教会の十字架のもとに、今を生かされている我ら、ともに集い、主イエスがこの世に現れて下さった、クリスマスの時を迎えることができたことを感謝致します。我らが救い主と告白するイエスを、世にお送り下さった神を讃美いたします。
 強者と軍事力の支配は続き、弱い立場の者の声はかき消され、ウィルスや放射能などの艱難に怯える現代にあって、しんがりに立たれる神を教え、弱き者たちを支え続けて下さる主イエスとともに、けっして希望を見失うことがありませんように。神さまの祝福される人間らしさを回復していくことができますように。イエスの誕生、クリスマスを祝う世界中の人々とともに、神を讃美いたします。グローリア グローリア グローリア Amen
  2020クリスマスに心にとどめたいこと 「“人間らしさ”への模索」
 イエス誕生の時、ローマ帝国から許可されコントロールされる王、傀儡(カイライ、くぐつ人形)政権で住民の信頼を得られなかった王ヘロデは、占星術の学者から聞いた“メシア誕生”ニュースに己の立場を危うくする危険を感じ、学者を利用して誕生した赤子を特定しようとしたが学者に裏切られたため、ベツレヘムの乳児をすべて殺害するよう部下に指示し殺させた、とあります。ちなみに彼は、三人の息子それぞれに謀反の疑いを感じて殺した王とも記されています。
 ネットという電子信号網が張り巡らされている現代社会。人と人とを繋ぐ目に見えない“糸”が視えなくなり、逆にその“糸”が互いを縛る、疎ましいものに変わりつつある現代。“親子なら” “肉親なら” “血縁者なら” “同じ民族なら” “人間なら” ひどいことはしないだろう…そんな安心、信頼といった「土台」のようなものが崩れ去り、人間性という言葉が死語化し、残っているのは「プライバシー」のみかもしれません。
 それでも信じ合える“村”を求める人々がいるからこそ、カルトと呼ばれる秘密結社、教祖中心の熱狂的な教団、軍神のもとに結集する民族主義、選民思想等が次々と生まれるのでしょう。
 現代日本は敗戦から続いている巨大軍事国からの従属国から脱しきれず、社会的弱者のライフラインはより細くなり、軍事力、危険なエネルギー開発ばかりに目が注がれ、そこに住む人々の直接の信頼関係、共感を回復する道を見失いつつあります。人間が作り出した“序列・上下・貴賤”のしんがりに立たれる神を指し示し、証しして下さる主イエス。イエスの執り成し、購(あがな)いを我がためと受けながら、ウィルスによってますます分断され孤立している社会にあって、人間性回復への道を、セクトやカルトに依存することなく手探りし、希望を失うことなく作り出していきたいと願います。人と人とを分かつすべての境界線・ボーダーを超える道を示してくださったイエス。主、イエスの誕生を祝って。メリークリスマス!

 

イザヤ書 9章 5節
一人のみどり子が私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

マタイによる福音書 2章13〜16節
 博士たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げ、私が告げるまで、そこにいなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ退き、
 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。
 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、激しく怒った。そして、人を送り、博士たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいる二歳以下の男の子を、一人残らず殺した。
 その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。/激しく泣き、嘆く声が。/ラケルはその子らのゆえに泣き/慰められることを拒んだ。/子らがもういないのだから。」

応唱 我らの祈り
 今日、東淀川教会の十字架のもとに、今を生かされている我ら、ともに集い、主イエスがこの世に現れて下さった、クリスマスの時を迎えることができたことを感謝致します。我らが救い主と告白するイエスを、世にお送り下さった神を讃美いたします。
 強者と軍事力の支配は続き、弱い立場の者の声はかき消され、ウィルスや放射能などに怯える現代にあって、しんがりに立たれる神を教え、弱き者たちを支え続けて下さる主イエスとともに、けっして希望を見失うことがありませんように。神さまの祝福される人間らしさを回復していくことができますように。イエスの誕生、クリスマスを祝う世界中の人々とともに、神を讃美いたします。グローリア グローリア グローリア Amen


  2020クリスマスに心にとどめたいこと 「“ネバーギブアップ”」
 イエス誕生の時、ローマ帝国に媚び、ユダ国の支配権を手にした王ヘロデは、占星術の学者から聞いた“メシア誕生”ニュースに、己の立場を危うくする危険を感じ、学者を利用して誕生した赤子を特定しようとしたが学者に裏切られたため、ベツレヘムの乳児をすべて殺害するよう部下に指示し殺させた、とあります。ちなみに彼は、三人の息子それぞれに謀反の疑いを感じて殺した王とも記されています。
 その社会の病理、ひずみの大きさは、弱い立場の者たちにどれほど、その「ひずみのしわ寄せ」が及んだか、声を上げられない者たちにのしかかったかで知ることができるのでしょう。乳児、幼児たちが皆殺しになった、逃げる間もなく次々と殺された、とは、えげつなくひずんでいた暗黒時代であったことの描写のひとつでしょう。

  ネットという電子信号網が張り巡らされている現代社会。人と人とを繋ぐ目に見えない“糸”が視えなくなり、逆にその“糸”が互いを縛る、疎ましいものに変わりつつある現代。“親子なら” “肉親なら” “血縁者なら” “同じ民族なら” “人間なら” 信じられる絆があるはず…そんな安心、信頼といった「土台」のようなもののてごたえはあいまいになり、人間性という言葉が死語化し、残っているのは「プライバシー」のみかもしれません。
 それでも信じ合える“村”を求める人々がいるからこそ、カルトと呼ばれる秘密結社、教祖中心の熱狂的な教団、軍神のもとに結集する民族主義、選民思想等が次々と生まれるのでしょう。


 現代日本は敗戦から続いている巨大軍事国への従属から脱しきれず、社会的弱者のライフラインはより細くなり、軍事力、危険なエネルギー開発ばかりに目が注がれ、そこに住む人々の直接の信頼関係、共感を回復する道を見失いつつあります。


 人間が作り出した“序列・上下・貴賤”のしんがりに立たれる神を指し示し、証しして下さる主イエス。イエスの執り成し、購(あがな)いを我がためと受けながら、ウィルスによってますます分断され孤立している社会にあって、人間性回復への道を、セクトやカルトに依存することなく手探りし、希望を失うことなく作り出していきたいと願います。人と人とを分かつすべての境界線・ボーダーを超える道を示してくださったイエス。主、イエスの誕生を祝って。メリークリスマス! そして 「ネバーギブアップ」。

20201213 東淀川教会礼拝宣教要旨「女よ 泣いている場合ではない」

イザヤ書9章 1ー7節
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。02節あなたはその国民を増やし/その喜びを大きくされた。/彼らはあなたの前に喜んだ。/収穫を喜ぶように/戦利品を分けて喜び躍るように。03節彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭を/あなたがミデヤンの日のように/打ち砕いてくださった。04節地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服は/すべて焼かれ、火の餌食となった。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。06節その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。07節主は御言葉をヤコブに送り/イスラエルに下された。

マタイによる福音書 01章  抜粋
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。 03節ユダはタマルによってペレツとゼラをもうけ…05節サルモンはラハブによってボアズをもうけ… 06節エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ボアズはルツによってオベドをもうけ、…16節ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

宣教題「女よ 泣いている場合ではない」 
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章)

 マタイが記すイエスの系図。タマルは夫エルの子を得ることができず、母となるために遊女となって義父ユダを誘惑しユダの子を得て一族の母となった女性。ラハブはエリコの町の遊女でスパイとなって町を攻めるイスラエルに勝利をもたらした異教徒。ルツは夫と死に別れた異邦人で異教徒だが雇われたイスラエルの家に仕えた女性。ウリヤの妻バテシバはダビデと恋仲となりダビデにウリヤを殺させてダビデ王の妻の座を得た女性。そしてイエスの母マリア。ヨセフは“密かに縁を切ろうとした”とは、ヨセフにとっては信じがたい裏切りだったはずですが、マリアの物語をその子どもとともに引き受けることを選んだ。
 マタイが記したイエスの系図をみても、そこには民族、婚姻制度、身分、異教徒、善悪、習俗や常識などを超えたダイナミックな女性の歴史が織り込まれている。父系性社会の中で、イエス自身が“誰の子かわからん大工の家の息子”との陰口の中で育ったのだろう。イエスの言葉や神の国の宣教がどれほど人々の心を揺さぶったとしてもガリラヤの地、ナザレのイエスを預言者としても、ましてやメシアとしても認めたくはない社会的上層部ばかりだったはず。
 マタイ福音書の記者は、正面からはイエスこそ古から預言者によって語られたメシア、救い主、新しい王、として描きながら、一方ではその由緒のなかに常識や道徳感や善悪を超えた生々しい現実を織り込んでいた。

 私たちは混沌とした現代の中で、今どのような現実の中に“わたしたち”がいるのか、取り残されているのか、疎外されているのか、分断されているのか、不安になる。が、この不安は案外と見えないかたちで広がっている現代の影なのではないか。

 イエスの降誕を心からメリークリスマス!と祝えないコロナ騒動のなかで迎えようとしている。どのような闇の中でも混沌の中でも、嘆きうずくまったままでいることもなく歩みだし、子を、人を育んでいった女性の“生かされ方”の先にイエスの誕生があったことを心に留めながらクリスマスを迎えたい。

先週の出来事
 やはりGoTo停止、いや、景気を後退させてはならない、停止はしない…行き当たりばったりの試行錯誤? 感染者の医療体制が大問題になっている最中に宮城県と岩手県の復興状況の視察…視察に行ける神経が理解できないが…。 誰が歓迎したのだろうか。経済的パワーバランスと人気取りばかりに現政権の目が向いているように思われる。 

 

イザヤ書9章 
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。02節あなたはその国民を増やし/その喜びを大きくされた。/彼らはあなたの前に喜んだ。/収穫を喜ぶように/戦利品を分けて喜び躍るように。03節彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭を/あなたがミデヤンの日のように/打ち砕いてくださった。04節地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服は/すべて焼かれ、火の餌食となった。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。06節その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。07節主は御言葉をヤコブに送り/イスラエルに下された。

マタイによる福音書 01章 01節
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。 03節ユダはタマルによってペレツとゼラをもうけ…05節サルモンはラハブによってボアズをもうけ… 06節エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ボアズはルツによってオベドをもうけ、…16節ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

宣教題「女よ 泣いている場合ではない」 
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章)

 マタイが記すイエスの系図。タマルは夫エルの子を得ることができず、母となるために遊女となって義父ユダを誘惑しユダの子を得て一族の母となった女性。ラハブはエリコの町の遊女でスパイとなって町を攻めるイスラエルに勝利をもたらした異教徒。ルツは夫と死に別れた異邦人で異教徒だが雇われたイスラエルの家に仕えた女性。ウリヤの妻バテシバはダビデと恋仲となりダビデにウリヤを殺させてダビデ王の妻の座を得た女性。そしてイエスの母マリア。ヨセフは“密かに縁を切ろうとした”とは、ヨセフにとっては信じがたい裏切りだったはずですが、マリアの物語をその子どもとともに引き受けることを選んだ。
 マタイが記したイエスの系図をみても、そこには民族、婚姻制度、身分、異教徒、善悪、習俗や常識などを超えたダイナミックな女性の歴史が織り込まれている。父系性社会の中で、イエス自身が“誰の子かわからん大工の家の息子”との陰口の中で育ったのだろう。イエスの言葉や神の国の宣教がどれほど人々の心を揺さぶったとしてもガリラヤの地、ナザレのイエスを預言者としても、ましてやメシアとしても認めたくはない社会的上層部ばからいであった。
 マタイ福音書の記者は、一方ではイエスこそ古から預言者によって語られたメシアとして描きながら、一方ではその由緒のなかに常識や道徳感や善悪を超えた生々しい現実を織り込んでいた。

 私たちは混沌とした現代の中で、今どのような現実の中に“わたしたち”がいるのか、取り残されているのか、疎外されているのか、分断されているのか、不安になる。が、この不安は案外と見えないかたちで広がっている現代の影なのではないか。

 イエスの降誕を心からメリークリスマス!と祝えないコロナ騒動のなかで迎えようとしている。どのような闇の中でも混沌の中でも、嘆きうずくまったままでいることもなく歩みだし、子を、人を育んでいった女性の“生かされ方”の先にイエスの誕生があったことを心に留めながらクリスマスを迎えたい。

先週の出来事
やはりGoTo停止、いや、景気を後退させてはならない、停止はしない…行き当たりばったりの試行錯誤? 感染者の医療体制が大問題になっている最中に宮城県と岩手県の復興状況の視察… 誰が歓迎したのだろうか。経済的パワーバランスと人気取りばかりに現政権の目が向いているように思われる。 

20201206 東淀川教会礼拝宣教要旨 「一人で蔑まれ捨てられるために」

イザヤ書/53章 3−7節
3節 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/痛みの人で、病を知っていた。/人々から顔を背けられるほど軽蔑され/私たちも彼を尊ばなかった。
4節 彼が担ったのは私たちの病/彼が負ったのは私たちの痛みであった。/しかし、私たちは思っていた。/彼は病に冒され、神に打たれて/苦しめられたのだと。
5節 彼は私たちの背きのために刺し貫かれ/私たちの過ちのために打ち砕かれた。/彼が受けた懲らしめによって/私たちに平安が与えられ/彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。
6節 私たちは皆、羊の群れのようにさまよい/それぞれ自らの道に向かって行った。/その私たちすべての過ちを/主は彼に負わせられた。
7節 彼は虐げられ、苦しめられたが/口を開かなかった。/屠り場に引かれて行く小羊のように/毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように/口を開かなかった。

ヨハネによる福音書13章26−27節
26節 イエスは、「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」とお答えになった。それから、パン切れを浸して取り、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27節 ユダがパン切れを受けるやいなや、サタンが彼の中に入った。イエスは、「しようとしていることを、今すぐするがよい」と言われた。

マタイによる福音書/27章 46-47節
46節 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。
47節 そこに立っていた何人かが、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。

宣教要旨 宣教題「一人で蔑まれ捨てられるために」

 ユダヤ教の中心とされている、イエスたちが最後に乗り込んだエルサレム神殿前広場。
多くの民衆が期待した大変革、そのための戦いに来たのではなく、ロバの子にまたがって入場したイエスの行いは非暴力の宣言であり、神殿中心の人々に服従を強いて支配する信仰に対し「悔い改め」を求めるものだった。が、イエスを“来たるべきメシア”、“ダビデ王の再来” 世に弱くされている社会的弱者、地の民(アム・ハーレツ)を自由へと解き放つ解放者として、或いは本来的な信仰の原点、「神とともに歩む民」へ戻ろうとする、熱狂的にイエスに期待する人々はユダヤ人にも異邦人にも多かったと思われる。
 イエスたちを敵視している神殿政治勢力(サンヘドリン)、ヘロデ王、更にその無効にはローマ帝国がイエスたちや、彼らに追従しようとする熱狂的な民衆の前に立ちはだかっていた。反乱、暴動、弾圧、逮捕、虐殺、追撃などが予測されていたと思われる。ますます膨れ上がっていだであろう熱狂状態は、武力弾圧、多くの被害、死者を生み出すことになる。

 イエスはこの“神の国”宣教の行き着く先を、イザヤの指し示していた“たった一人で蔑まれ、捨てられる偽メシア” という宿命、結末をひとりで引き受けることと定めていたのではないか。それが、熱狂から始まる反乱と、それに対する報復・鎮圧による多くの死者、犠牲者が生まれることを防ぐため。処刑されるのは一人に止める。そのためには、イエスが捕まるときに、主だったメンバーが「イエスなんて知らない、関係ない」とみんな逃げ出すこと。更に、仲間たちみんなから信頼されていたイエスの弟子から裏切られ、お金で売られ、嘲笑の的となること、更には、イエス自身が、神に見捨てられたことをおおっぴらに告白すること(エリ…エリ…)。
 それにより、最も惨めな立場のイエス以外に対する、神殿からの、ヘロデ・アンティパス王からの、ローマ側からの弾圧、迫害が及ばなくなる、という唯一の道をイエスは用意したと思われる。
 イエスを裏切った末に自殺したとされるユダは、最も信頼していた仲間から裏切られ、金で売られた惨めな首謀者、という嘲笑の的を作り上げるために極秘の内にイエスから依頼を受けていたというあらすじが全体の構図から考えると導き出されるように思う。それがヨハネによる福音書にさりげなく記された「しようとしていることを、今すぐするがよい」は、裏切りがわかっていたというよりも、イエスからの依頼だったことをさりげなく残したのではないか。

先週の出来事
関西電力大飯原発3、4号機の設置許可を取り消した4日の大阪地裁判決。新規制基準に基づく大飯原発への許可を「違法」と断じた大阪地裁判決。原発の安全審査を続けてきた規制委の報告書が、はじめから結論ありきの調査、数字であることを指摘しての判決だったと思われる。司法への希望を感じる。