東淀川教会20181021 礼拝 詩編5:1-2 マルコ1:40-45 司式 牧仕 金田恆孝
旧約聖書 詩篇5章1-2節
5:1主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。
5:2わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。
わたしはあなたに祈っています。
Give ear to my words, O Lord, consider my meditation.
Hearken unto the voice of my cry, my King, and my God: for unto thee will I pray.
新約聖書 マルコ福音書 Mark 1.40-45
1:40ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 1:41イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 1:42すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。 1:43イエスは彼をきびしく戒めて、すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた、 1:44「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて、人々に証明しなさい」。 1:45しかし、彼は出て行って、自分の身に起ったことを盛んに語り、また言いひろめはじめたので、イエスはもはや表立っては町に、はいることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた。しかし、人々は方々から、イエスのところにぞくぞくと集まってきた。
40 A man with leprosy[a] came to him and begged him on his knees, “If you are willing, you can make me clean.”
41 Jesus was indignant.[b] He reached out his hand and touched the man. “I am willing,” he said. “Be clean!” 42 Immediately the leprosy left him and he was cleansed.
宣教題「イエスの執り成し(とりなし)」
重い皮膚病を(おそらく長い長い間)患っていた者の言葉。この「みこころでしたら」は、誰の心を指している?
イエスに向かって、「イエスよ、あなたががわたしに“清くなってほしい”と願ってくださるのなら、わたしは清まるはずです」という意味なのだろうか。
ここで使われているギリシャ語の解釈とか、該当するヘブライ語、ないしはアラム語から、皮膚病の者とイエスがどのような対話をしたかを細やかに調べていく方法は、学術的な一つの方法なのだろうが、山の一部の樹を丹念に調べ上げても、山と山の木々全体を調べたことにはならない。むしろ、樹にこだわることにより、山全体が見えなくなる、という事態が起こる可能性が大きいのではないか。むしろ、山全体から、ここで彼は、イエスの「みこころ」ではなく、「神のみこころ」を求めていると思われる。
神さまの御心に依ってこの苦しい病、人々から忌み嫌われる病がもたらされたのなら、肉体の重荷、差別の重荷を負わせたのなら、同じく神さまの御心により、神の御手のわざにより、この皮膚病が清まる、重荷を回復させ、差別していた者たちが自分たちの行いを恥じる、それがみこころではないか。イエスよ、あなたが私の祈りを神のもとに届けてくださり、その神の御手のわざをあなたに代行して(執り成して)ほしい、という意味だったと感じられるのです。
この「私」を用いて、神が御手のわざを為された。重荷を負わせる・重荷を担わせる、重荷を取り除く・回復させる、その全体を通して、神さまとの対話が続きます。こころの中で起こる神との激しい、辛辣な対話、取っ組み合い(イスラエル)、激しい感情を乗り越え御手のわざについて思い巡らしてこそ、悟りが与えられます。この理解。悟りにより、自分がこの世に命を吹き込まれ、運命を与えられ、今日までを生かされてきたことの意味、肉体が弱り滅んでいくこと、天に還っていく日が近づくことの意味が深められていくんだと思うのです。
「3.死ぬるも死の おわりならず 生けるもいのちの またきならず」 讃美歌478番
○先週の出来事
「アメリカ・ファースト」を叫ぶトランプ大統領。まさに国体第一、本音で言えば民主主義は邪魔、ということ。日本もまた国家(国体)第一主義にひた走っている。やはり民主主義は、敗戦したがゆえに受け入れざるを得なかった借り物で、国民がその手で勝ち取ったものではなかった。民主主義はついに根付けなかったのだろう。民主主義って何?の問いに、じぶんのことばで答得られる人間が、わたしを含め、どれほどいるのだろうか。