20240929 東淀川教会宣教要旨 ユダの福音書10章 やり取りの続き 人間とその運命について (私訳)
1 ユダはイエスに尋ねた。「人間が生きる間の最も大きな問題とは何でしょうか」
2 イエスは言った。「アダムからこの世代に至るまで王国や権力者が支配す場所の中で、限りあるものとして自分の時間を、この世の支配者に運命づけられていることを嘆いているのですか?」
3 ユダは続けてイエスに尋ねた。「人間の霊は肉体の死とともに滅ぶものなのでしょうか?」
4 イエスは言った。「地上世界である世の人は、混沌と陰府の王たちの支配によって霊の危機に晒され続けます。至高者に向き合う、神に祈る、対話する礼拝で、大天使から新たな霊を注がれます。支配者のいない天上世界の人にも別の大天使から霊が注がれます。このようにして人は混沌と陰府の力から抜け出すことができるのです。
宣教要旨「人と国家との関係」
「グノーシス」はギリシャ語で「知」を表す言葉ですが、「知」よりも「悟り」という表現が合っているように感じます。ユダヤ教、初期のキリスト教にも広がりましたが、ゾロアスター教、マニ教、更にはインド仏教にも大きな影響を及ぼしているようです。「至高者」は言葉や概念で表現せず、神話的多神教的な「神々」の上にいる不可知な存在、最も大いなる霊、みたいな捉え方だと思われます。人による知的な理解を拒否する存在のようです。モーセ5書の「神の名をみだりに文字で表したり口で唱えてはならない」というタブーと重なります。至高者の下に多くの神々が登場しますが、日本人の「八百万の神々」理解との近さを感じます。
かつて国家を持たない移動の遊牧民であったイスラエル民族がエジプトの奴隷状態から脱し、パレスチナ・カナンの地に入植したのち、強い国家を目指して戦争を繰り返し、敗れて捕囚、奴隷状態になるなど、「国家」は人の運命にとってあまりに大きなものでした。それについてのユダとイエスの会話と思われます。
今日、人の生命、元気、バイタルなどと呼ばれる生命現象の根本は神によって吹き込まれた「霊」であり、時到て神の元に帰るのであり、霊は人に宿る神の本質である、人は神の本質を持つ、というのがグノーシス主義の根本的な人間理解と思われます。
神の本質でもある人の「霊」が危機に陥ることを守る大天使(ミカエル)がおり、地上界を離れて天界に移っても、霊の危機を守る大天使(ガブリエル)がおり、「霊」は滅びることがない、という、初期キリスト教の中のグノーシス派の考えをイエスのコメントとして表現しているように思われます。