20241117 東淀川教会礼拝宣教要旨「便利さの奴隷」出エジプト記20:2 レビ記13:45-46 マルコ福音書1:39-45

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Table of Contents

聖書箇所 申命記5:6 出エジプト記20:2
わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
レビ記13章 45-46節
規定の病にかかった人は衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。 (45)
その患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない。(46)

マルコによる福音書1章 39 〜40節

そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。 (39)

さて、規定の病を患っている人が、イエスのところに来て、ひざまずいて願い、「お望みならば、私を清くすることがおできになります」と言った。(40)

イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と言われると、 (41)

たちまち規定の病は去り、その人は清くなった。 (42)

イエスは、彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせ、 (43)

こう言われた。「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた物を清めのために献げて、人々に証明しなさい。」 (44)

しかし、彼は出て行って、大いにこの出来事を触れ回り、言い広め始めた。それで、イエスはもはや表立って町に入ることができず、外の寂しい所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。(45)

宣教要旨「便利さの奴隷」
このタイトルを選んだのは、現代の私たちが奴隷状態にあると仮定するならば、それは「便利さの奴隷」なのではないか、というひらめきからです。
神が息(いのち)を吹き込んだ人(神の子)たち、神とともに歩んでいた人たちがエジプトで奴隷となって喘いでいた。その奴隷の祈りを聴き届け、モーセを遣わして人々を解放した。主なる神は自らを「解放」の神であると告げた。

イエスの時代、病気は罪の結果とされ、神殿祭司が診断し、罪滅ぼしの捧げ物(焼き尽くす生け贄)が罪滅ぼしとして義務化され、清くない者として差別・疎外され、住居地も限定されていました。

イエスと女性たちを含む仲間たちは各地で疎外され隠されていた人々の治療・癒し行為を行っていた(悪霊を追い出した)ようです。

現代の医師のような役割をする祭司にケガレ人と判定され一定の居住区に押し込められていた病人が、「私は汚れている!(そばに寄らないでください)」と叫びながら(投石などを避けながら)イエスの元に来るだけでも命がけの訪問だったのでしょう。

「お望みなら」とは、“イエスが病を引き受け、かつ責任をとってくれるなら”というニュアンスに近いと思われます。エリアなどの預言者が行っていた癒し行為は、病人に体を重ねる、病人の病を自分の身に移す行為が記録されています。
 彼が一瞬にして癒されたわけではなく、イエスの仲間たち、報告には出てきませんが多くの女性たちも協力していたと思われます。体や患部を洗う、薬草などを用いる、きれいな布を巻く、などの癒し行為は当然あったのでしょう。

「行って祭司に体を見せ…モーセの定めた捧げ物を献げ…」とは、彼が元の家族や社会関係に戻るためには神殿側の清まったという証明が必要だったからですが、「イエスたちに清められた。神殿に行って証明書をもらってきなさいとイエスに言われた」と神殿に行くことは、それ自体が神殿システムに対する真っ向勝負、喧嘩を売っている行為だったわけです。何の資格も権限もない輩に治してもらったから、清まったという証明書だけだせ、というわけですから面目も丸つぶれ。どうなるかを大勢が見守る中で祭司は証明書を出さざるを得なかったのでしょう。

 神殿が定めた「診断」と神殿への「服従」から解放された彼は、喜びいさんで、おそらく多くの“診断された病人たち”に、イエスの所に行くよう勧めたのでしょう。かれはそうせざるを得なかった。が、それは神殿の権威を無視する行為であり、神殿側はイエスたちの行為をますます放置できなくなったし、弾圧が強まっていった経緯なのでしょう。病んでいる人々を癒さざるを得ないが癒せば癒すほど弾圧や攻撃が強まる矛盾。そんなイエスの苦悩からマルコ福音書は始まっています。

 映画「Plan75」2022年早川千絵監督 主演・倍賞千恵子、磯村勇斗。衝撃的な近未来を描く映画でした。高齢者の社会不適応、事故、痴呆、老害、安楽死、尊厳死が喧伝される昨今の風潮のなかで、人の75歳での死を積極的に受け入れさせようとする国のプランを描いた作品。とてもリアルでした。

旧優生保護法による「強制不妊手術」を受けさせられた被害者は、国の調査では約1万6500人に上る。実際はその数倍とも言われています。神殿風にいえば「ケガレている人」への一方的な処置がなされていた日本の現実。

最新の統計(22年)では、日本の子どもの10人に1人は体外受精で生まれているとのこと。当然そこには着床前の受精卵の診断が行われているのでしょう。男女の産み分けや遺伝子検査も可能で劣生と見做されるダウン症児も“予防”されていしまうのでしょう。

マイナンバー制度。民の健康管理や犯罪歴、経済状態などの管理システム。国や社会システムにとっての便利さを、健康保険、運転免許、身分証明書などが一枚で済む個人の「便利」で納得させているように感じられる。現在50%が利用申請中。

2016年相模原障害者施設事件。「社会にとって迷惑な個人を私が処分した」とのメッセージは、便利快適な社会にまどろんでいる人々、私たちを震撼させた。「自己責任」などの概念が、ハンディを負う障害者、扶けを必要としている人々、こども、高齢者などの生きにくさ、不安を掻き立てている。

「いのちは神のものであり、人は神の子であり、何ものの奴隷になってはならない」というモーセやイエスのメッセージを今だからこそ聴き続けたい。

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