20250511 東淀川教会復活節第四主日礼拝 宣教要旨「マグダラのマリアって?」
本日の聖書箇所
マルコによる福音書15章 40節
また、女たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
マルコによる福音書15章 47節
マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められた場所を見届けた。
マルコによる福音書16章 01節
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
マルコによる福音書16章 09節
週の初めの日、朝早く、イエスは復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた女である。
ヨハネによる福音書20章 16節
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
ヨハネによる福音書20章 18節
マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
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宣教要旨「マグダラのマリアって?」
マグダラのマリアという女性はイエスから七つの悪霊を追い出していただいた(治療された)女性と記されている。現代精神医療の理解で言えば、統合失調症をはじめ解明不能な多くの精神(こころ)の病の持ち主で、一生涯、治療者とのかかわりが続くだろう患者でもある。統合失調症もその原因や正体は解明できておらず、今日の治療も仮説に基づくものでしかない。
自分自身の病で苦しんできた、或いは病を乗り越えた人が、自分以外の人の病の正体を理解したり、その正体と対話したり、病んでいる人に助言できたりすることは多い。
神学者・文学者のウォルター・ワンゲリン著「小説・聖書 新約聖書篇」で、マグダラのマリアが、悪霊に取り憑かれ、墓場に鎖に繋がれていたゲラサ人の叫び声から本人の病の正体を聴き取る場面があります。イエスだけでなく、マグダラのマリアも彼の心の底からの叫びを聞くことができたという理解が前提です。
「墓で叫んでいたあの人の、取り憑かれた悲しげな声が聞こえてくると、私には、彼がどのように感じているかがはっきりとわかりました。あの人は自分を蔑(さげす)んでいました。自分の中に住んでいる悪魔のために、彼はすべてのものを憎み、その憎悪の中で自分を嫌悪し蔑んでいるのです。それは恐ろしい孤独です。そして地上のすべての人々の中でイエスよ、あなたを最も憎んでいます。でもあなたは彼を癒しました。どうして彼を癒やされたのですか?」とイエスに詰め寄ります。「私は七つの顔を持つ憎悪と、七つの声を持つ悲しみに満たされていました。あなたと最初に出会った時から、あなたを殺したいと思っていました。」生まれてきたことも今生きていることも呪っている場合もあります。その深い苦しみがマグダラのマリアにはわかるというのです。
出生を呪い、肉身を呪い、運命を呪い、やっとの思いの信頼を裏切った奴を呪い、自分自身を嫌悪しつつ死ぬに死ねない“鬼と化してしまう”
10代、20代の死因のトップが自殺という現実が、日本における20世紀からの時代の病理を如実に表しています。
イエスの仲間たちの諸活動は男中心で描かれています。現代の医療も病気と闘う医師が行う治療(キュアcure)が中心で、病める人の生き方を支える看護(介護ケアcare)は副次的な、補助的な立場に置かれます。がイエスの周囲での炊き出し、カウンセリング、手当、休息などは多くの女性たちによって担われていたはずです。しかも心身の病に伏す人々の看護を通して病気と向き合ってきた多くの女性たち、病む経験のある当事者こそが病の正体に気付き、できることが多かったはずです。
女性、しかも病を抱えている人の活動は報告からも隠されがちですが、マグダラのマリアたちの活動は心身共に病んでいる人々の病と向き合い、イエスたちや周囲の人々の「病」理解と、病んでいる当事者への理解を助け、病む当事者が生きる希望を取り戻すための活動の中で、とても大きな役割を果たしていたはずなのです。
現代社会で注目されている「オープンダイヤローグ」。生きづらさを抱えて困っている人・当事者を支援するため親族や友人や、病苦の経験者、支援者が集まり、平べったい、かつ永続的な支援関係を維持していくボランタリティな人間関係に、イエスたちの活動に繋がる希望を見いだしたいと願っています。