20250601東淀川教会復活節第七主日 礼拝宣教要旨「神々の言い伝え」

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聖書箇所
創世記3章19−24節
土から取られたあなたは土に帰るまで 額に汗して糧を得る。あなたは塵だから、塵に帰る。」(19)
人は妻をエバと名付けた。彼女がすべての生ける者の母となったからである。(20)
神である主は、人とその妻に皮の衣を作って着せられた。(21)
神である主は言われた。「人は我々の一人のように善悪を知る者となった。さあ、彼が手を伸ばし、また命の木から取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」(22)
神である主は、エデンの園から彼を追い出された。人がそこから取られた土を耕すためである。(23)
神は人を追放し、命の木に至る道を守るため、エデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた。(24)

宣教要旨「神々の言い伝え」
キリスト教は一神教であり、神は唯一絶対と思っていたら、創世記3章に神の自己紹介で「我々」という言葉が出てきます。実は創世記の元々の「神」は複数形だったようです。複数形が神話としても自然なのです。

(移動の文化と定着の文化) 人類の生活スタイルの基本は、厳しい気象変化や、危険な狩猟採取生活を生き延びるため、一箇所に定住しない、風と共に移動する、土地を所有しない、移動・遊牧の文化が基本的なスタイル、生き方だったのでしょう。移動しているのは自分たちだけではなく、様々な民族が移動しており、それぞれの民族が自分たちの先祖に繋がる神々の物語や、中心的な唯一神への信仰をもっていることも知っていたはずです。当然に神という概念や認識は“神々”という複数形だったはずです。

(都市や国家の発生)自然環境の変化や肥沃な土地の発見で農耕や牧畜が可能となり定着・土地所有の文化が紀元前1万年頃から起こったのでしょう。

 移動の文化であれ、定着の文化であれ、神話(神々の物語)や先祖の物語や民族の物語などが世界を理解したり、人間理解や世の中の理解を広げ深める材料になっていることに変わりはないのでしょう。ただ、今日では“神話”の代わりに生命科学などの「科学神話」がその位置を占めていると感じます。

 古代ローマ帝国がキリスト教を公認し国教化していった最大の要因は、「神は単数・唯一絶対」「真理はひとつ」「世界は平和のためにひとつになるべき」というローマ帝国の野望に一神教が役立つと確信したからでしょう。

戦争が続いている現代社会。神の被造物で生かされているにすぎない人が、神の如く善悪の基準を定め、自分たち基準で世界や人々を裁く傲慢さが「善悪を知ってしまった人」として神話的に表現されていると感じます。

豊かな国の病気の子の治療のため、お金の力で貧しい国の、貧しい人々の臓器を手に入れ、長生きさせようとしている現実があります。

 創世記3章の「人は我々(神々)の一人のように善悪を知る者(善悪を決め善悪を判断し他者を裁く者)となった。さあ、彼が手を伸ばし永遠に生きることがないようにしよう」と、エデンの園から「人」を追放したという、「神々の判断と決定」は、現代の私たちひとり一人に向けて突き刺さっていると感じます。

 

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