20250831 東淀川教会礼拝宣教要旨 「イエスの赤裸々な姿」ヨハネ福音書2:14−22  詩篇69:6−13節

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

聖書 ヨハネによる福音書2章 13-20節

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。(13)

そして、神殿の境内で、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちが座っているのを御覧になった。(14)

イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、(15)

鳩を売る者たちに言われた。「それをここから持って行け。私の父の家を商売の家としてはならない。」(16)

弟子たちは、「あなたの家を思う熱情が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。(17)

ユダヤ人たちはイエスに、「こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるつもりか」と言った。(18)

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(19)

それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、三日で建て直すと言うのか」と言った。(20)

詩編69編 6-10節

神よ、あなたは私の愚かさをご存じです。/私の犯した罪もあなたには隠すことができません。(6)

わが主、万軍の主よ/あなたに望みを置く人が/私のことで恥じ入ることがありませんように。/イスラエルの神よ/あなたを尋ね求める人が私のことで/屈辱を受けることがありませんように。(7)

私はあなたのゆえにそしられ/顔は恥辱に覆われています。(8)

兄弟にとっては見知らぬ者/同じ母の子らにとってはよそ者となりました。(9)

あなたの家を思う熱情が私を食い尽くし/あなたをそしる者のそしりが/私の上に降りかかっています。(10)

 

宣教要旨「赤裸々なイエスの姿」

 怒るイエスの全身の気迫(鬼迫?)、筋肉骨格の動き、飛び散る汗などを想像してしまうヨハネ福音書二章です。マタイ、マルコ、ルカではイエスが逮捕される前の神殿での出来事という書き方ですが、ヨハネ福音書では、初期の頃のイエスの行動として描かれています。イエスの公的活動の初期か後期かで二年間ほどの開きがあります。これを初期のイエスの行動としたなら、公的な活動のはじめっから、ユダヤ教の最高の象徴であり、イスラエルの信仰の権威を示している神殿に向かって「ここは強盗の巣だ」と強盗よわばりし、捧げ物でもある動物たちを鞭を使って追い出し、エルサレム神殿に献金するためには必要な両替商の道具などをひっくり返しているわけですから、現代風に言えばこれはテロ行為であり、業務妨害であり、神殿に対する宣戦布告です。イエス及びイエスたちの活動全体からみれば、後期の、ロバに乗ってエルサレム神殿に入場した後のことと考えた方が全体として理解しやすいように思います。

イエスがエルサレム神殿で大暴れしたという事件を、暴力に反対し「平和と愛のイエス」像を伝えたいキリスト教は「宮清め」と美しく無難に言い換えていますが、どう言いつくろっても神殿中心のユダ国のシステム、社会秩序に対する反乱でありテロ行為です。

 神殿が人々から献金を募っているわけですから、収入の十分の一を献金する十一献金の精神から言えば、災害や災難にあった人や、病んでいる人々、老人やこどもたちや弱い立場や母親たちを守るために使われてしかるべきです。今日でいえば社会福祉政策のために献金が使われるべきなのに、神殿側はそれをしていない。 様々な病気や怪我や不幸を悪霊のせいにして、悪霊を取り除くための献金や動物の生け贄を献品させていたようです。結果的に、貧しい人や病床人のために献金を利用せず、神殿の体勢を維持するため、神殿のエライ人々が太るだけの原資になっていたようです。それをイエスは、神殿税や贖いの捧げ物を命じているエライ人々は強盗だ!、ドロボーだ!と宣言したわけです。

 神殿の祭司長や律法学者や神殿の業務を行うレビ人たちは、自分たちの清さを保ち、悪霊やケガレから身を守ることに熱心でした。汚れたままで神の前には立てないし、死後も神の国には入れないと信じていたようです。その熱心さが、他の人々にも身を清め、清らかさを保ち、悪霊から遠ざかることを強要していたわけです。詩編69篇10節の「あなたの家(神殿)を思う熱情が私(主)を食い尽くし、汚れているとされている人をそしる者のそしりが、私(主)の上に降りかかっている、と詩編で歌われています。

神殿に仕える人の清さを保とうとする熱心さが、弱い立場の人々を苦しめている、という歎きです。

 心身の清さを保つための献金や、神殿に献げる鳩や羊や牛などのシステムは、もはや清さを保つためなどというレベルのことではなく、病や不幸を口実にした強盗だ!とイエスが神殿側の人々を神に告発したことになります。

 汚れ人とのラベルを貼られることに苦しめられてきた人々にとって、イエスは「解放者」であり、「救世主」だったにちがいありません。

警察官やガードマンのような、イエスの行為を取り締まる神殿のシステムはなかったようです。イエスの「告発」メッセージはあっという間に口伝で広まったのでしょう。神殿側から病気や障害を悪霊のせいと診断され悪霊払いの献金や生け贄の動物などに苦しんできた人々が難民の如く集まり、イエスたちに癒やされたり世話を受けた人たちのネットワークも広がっていたと想われます。ヨハネ福音書の描くイエスの神殿に対する告発の鋭さは、ヨハネ福音書に成立は他の福音書より後、一世紀末か二世紀の初期で、初期のキリスト教会が地盤を固め初めた時期で、神殿政治中心のユダヤ教への批判が可能になっていたと思われます。

 

イエスが語った「三日で立て直してみせる」とは、三日でガラクタを取り除き、建物としての神殿ではなく、全ての人が集まり祈る場を確保すれば、それが「幕屋」であり、「神殿」であるという宣言なのでしょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です