20250907 東淀川教会礼拝宣教要旨「イエスの修験時代」マルコ福音書1章12-13節 マタイ福音書4章1-11節
聖書箇所
マルコによる福音書1章 12-13節
それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。
マタイによる福音書4章 1-11節
さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。(1)
そして四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた。(2)
すると、試みる者が近づいて来てイエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(3)
イエスはお答えになった。/「『人はパンだけで生きるものではなく/神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」(4)
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の端に立たせて、(5)
言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。/『神があなたのために天使たちに命じると/彼らはあなたを両手で支え/あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてある。」(6)
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」(7)
さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、(8)
言った。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。」(9)
すると、イエスは言われた。「退け、サタン。/『あなたの神である主を拝み/ただ主に仕えよ』と書いてある。」(10)
そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが近づいて来て、イエスに仕えた。(11)
宣教要旨 イエスの修験時代
イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、荒野で40日間、サタンから誘惑の試練を受けたことを伝える記事です。マルコ福音書の記事はとても短いのですが、マタイとルカでは、サタンのどのような試練に打ち勝ったのか、という物語風の記事です。ヨブ記を思い出しますが、神がサタンに命じてイエスに最大の試練を与えた、という構成になっています。神VSサタンではありません。
少年?青年?イエスがヨセフ、マリアの家を出てから、バプテスマのヨハネから洗礼を受けるまでどこでどうしていたのかはわかりませんが、神殿を中心としたユダヤ教に批判的な、エッセネ派のような、いわば修行僧?修験者?が修行を行うところに身を寄せたと想像しています。ヘブライ文字の学びから、モーセ五書、諸書、預言者の書についての学びや口伝で伝えられた律法の研究などが行われたと思われます。薬草や病気の治療についての伝承も学ぶのでしょう。更に断食や、困難に打ち勝つための身体的な苦行もあったと思われます。勝手な想像ですが、イエスはイザヤのような預言者をめざしていたか、イザヤ書に示された“受難のしもべ”をご自身の運命として引き受けようとされていた(そう解釈される研究者もいます)と思うのです。
マルコ福音書が伝える、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたあと「主の僕」としての活動を始める前に「サタンの試みを40日間40夜受けた」との表現は、イエスが育った家を離れ、ユダヤ教の学びと修行(修験)を行っているところに赴き、数年か十年かわかりませんが、エッセネ派などの修行の場で、労働しながらモーセ五書や預言者の書や諸書、伝えられている律法などについて学びつつ、必要な修行していた内容の表現だと思われます。イエスが取り組んだ、世の闇に置かれた「神の子たち」を救うための第一のテーマが(テレビドラマのあんぱんまんではありませんが)飢餓の苦しみと食べ物の分かち合いだったと思うのです。イエスの元に集まってきた、いわば数多の難民たちに、わずかな魚とパンから始める“炊き出し”のような活動は、おそらく何度も繰り返されたイエスたちの活動だったのでしょう。
二番目の試練は神殿のてっぺんから地上に飛び降りて、神に守られている姿を示すというものでした。かつての預言者たちが主に祈ることによって雨を降らせ、対決した他の呪術師を退けたように、イエスも神にお願いして神を動かせば良い、というわけです。神殿側は「何が神を喜ばせ、何が神を怒らせるか」を決め、病気や不幸を不信仰ゆえに神を怒らせたのであり、神を宥めるための供え物や献金を指示していました。善悪や赦し、救いの基準を神殿側が決めることは神との取り引き(神の私物化)が行われていたわけです。祭司たちや律法学者たちは、自分たちは清く正しく、神さまと取り引きができると信じていたのでしょう。神殿側のこのような“信仰”とどう対峙していくかが二番目のテーマだったのでしょう。
三番目はこの世の栄華、権力、武力、財力・富への依存(信仰)から、天地万物の創造神、ひとり一人、一つ一つのいのちが、“いのちの主”なる神への回帰すること、神の子たちが神に帰ることを手伝うのが預言者の役割と理解していたのでしょう。