20250914 東淀川教会礼拝宣教要旨「癒やしの場という隔離施設」ヨハネ福音書5章1−11節
聖書箇所 ヨハネによる福音書5章 1ー11節
その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。(1)
エルサレムには羊の門のそばに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。(2)
その回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。✝(3)(4)
さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。(5)
イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。(6)
病人は答えた。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が行く間に、ほかの人が先に降りてしまうのです。」(7)
イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」(8)
すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。(9)
そこで、ユダヤ人たちは病気を癒やしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。床を担ぐことは許されていない。」(10)
しかし、その人は、「私を治してくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。(11)
宣教要旨 「癒しの場という隔離施設」
ベテスダ ベトサダ(ベテスダとも表記) ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池
雨水を貯めた池とも、湧き水による池とも記されている。紀元前8世紀からあった。エルサレム神殿から350m離れたところにあり、伝承によると、天使がその池の水を動かしたときに池に入っていると病気の患部が治るという。おそらく神殿側が広めた伝承と思われる。どの患部の病が治るかは、水を動かした天使によって異なる。病を抱えた人々は水が動くたびに自力で、或いは手助けを受けて降りていき、池に入った。治らなくても「違う天使だったんだ」と諦めるしかなかった。
いつの頃からか、池は大きな壁に囲まれ、五つの回廊によって池は区切られ、治療施設と収容施設・隔離施設を兼ねたものになっていたようです。
エルサレム神殿を中心としたユダヤ教は、病や心身の故障を“悪霊”によるものとし、心身共に健康な人はケガレた人と交わってはいけない、汚れたら神殿で祭司長から清めてもらわなければならないという律法を作り出していました。重い皮膚病や伝染病や肺病や婦人病などもここに隔離されたと思われます。
ここにいれば、最低限の食餌が神殿側から提供されたのでしょう。
紀元前5世紀。ギリシャの医師ヒポクラテスの活躍(エーゲ海コス島)。アポロンの神や医神アスクレピオスへの信仰のもと、簡単な外科手術や薬草などによる医術が行われていたとのこと。
紀元前200年頃、ギリシャの医神アスクレービオス信仰とともに医術がエルサレムにもガリラヤ地方、シリア、小アジア周辺にも広まりつつあったと思われます。
紀元前200年頃、ベテスダの入浴施設にアスクレーピオス神殿が併設されたようです。
当時の姿を再現した模型
ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力(ラテン語: vis medicatrix naturae)」、つまり四つの体液のバランスをとり、その人に備わっている自然(”physis”ピュシス、「自然」の意)の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べています。さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視した。例えば、創傷の治療には、きれいな水とワインが用いた。その他鎮痛効果のある香油もときに塗布薬として用いられた。(ウィキペディアより)
イエスが宣教活動を始めるまで、どこで何をしていたのかの記録や報告はありませんが、預言者となるための学びや修行のほかに、ヒポクラテスの弟子たちから医術を学んだ可能性は大いにあると思います。
今日の聖書箇所にもどります。
おそらく収容されていれば、最低限の食餌が得られ(福祉政策?)、死ぬまでここにいることを覚悟している人も多かったのでしょう。
イエスが言った「良くなりたいか」は、ここから出て、自分の脚で歩む意志はあるかという意味だったのでしょう。その意志があれば私たちはあなたに協力する、という意味であり、仲間と共に彼をサポートしたと思われます。
NHK特別番組で伊藤時男氏に起こった出来事の紹介がありました。自宅でパニック状態になってから精神病院に入院し、1973~2011年 約40年間退院できず(本日の聖句の、38年間病気で苦しんでいる人と重なりました)。東日本大震災で福島の精神病院から他の精神病院へ転院。グループホーム→一人で寝起きする生活へもどることができた。精神病院が治療の場ではなく社会からの隔離の場になっていることを訴え原告として国賠訴訟を起こされた。国側は国の責任に触れず敗訴。
(私自身も京都市の精神病院に看護助手として勤務していたことがあります。やはり20年以上の入院の方もおられました。)
現代日本の精神病院
西暦2010年調べ 精神病院の病床数(収容目的) 34万4千床 被隔離(閉鎖病棟)患者9万人
1ヶ月(6月)の被身体拘束者8千人 10年以上の入院+20年以上の入院 約7万9千人
任意入院 30% 医療保護(強制入院)70% 電気ショック 1100件
※イタリアでは1978年のバザーリア法によって精神病院が閉鎖され、精神病院がない社会がつくられました。
そこが「病院」という名の施設であろうと、「身体養護施設」であろうと、「高齢者保護施設」であろうと、
イエスが、「良くなりたいか? 自由になりたいか? ここを出たいか?」と今日も語りかけてくださっていると思います。イエスの呼びかけ(或いはイエスの弟子たちの呼びかけ)に応えて立ち上がる人がいるなら、イエスとともにその人を支える一員になりたいと願います。