20250921 東淀川教会礼拝宣教要旨 「仲間を癒やし人として任命」 マルコ福音書3章13−15節 マタイ福音書10章1節、10章8節

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Table of Contents

聖書 マルコ福音書3章13-15節
イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らは御もとに来た。(13)
そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、宣教に遣わし、(14)
悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。(15)
こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。(16)
ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。(17)

マタイ福音書10章1節
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒やすためであった。

マタイ福音書10章8節
病人を癒やし、死者を生き返らせ、規定の病を患っている人を清め、悪霊を追い出しなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

 

宣教要旨「仲間を癒やし人として任命する」

 医学の祖と呼ばれるギリシャのヒポクラテスの活躍からイエスの活躍まで350年ほど経っています。イエスが宣教活動を始めるまで、どこでどのような修行や学びをしたかの記録や言及はありませんが、小アジア周辺でヒポクラテスの弟子たちから医術を学んでいたように思われます。だからこその“任命”だったのでしょう。

 イエスが仲間たちの中から手当や助けを必要としている病人や怪我人をケアする癒し人を「任命」する場面。“汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒やすため”とは現代ならば医療行為であり、「悪霊を追い出す権能」とは、病者に対する治療者としての責任を持たせたのでしょう。比喩的な表現ですが、病気の見立てや手当の基本や薬草などの医学的知識についてはイエスが指導していたと思われます。

 任命に合わせて名付けをしていますが、ペテロ(岩)とか、ボアネルゲス(雷の子ら)という名をつけたとは、心身にわたって病んでいる人々との向き合い方のアドバイスの意味を込めたあだ名と思うのです。
「不安」や「怒り」や「依存」を投げつけてくる「病み人」に対して、動揺せず、岩のように腰を据えて対峙すべし、の意味であったり、「病み人」にとって大事な指示(メッセージ)を「雷」のような一喝で届ける、などの意味があったのでは、と思うのです。イエスの説話で「塩の話」が多いのも、死海浴での高濃度の塩分で“体液の調整”として治療が行われていたことの反映なのでしょう。

 マタイ10章9節からの、「予備の衣類も履き物も持たず、お金も持たず受け取らず、寝るところを定め、食べ物だけ受け取って働きなさい」というスタイルは、最初の医師と尊敬されたヒポクラテスの教え「ヒポクラテスの誓い」に通底する「病み人」との向き合い方と思われます。

「ヒポクラテス BC350年頃活躍」 
ヒポクラテスの最も重要な功績のひとつに、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことが挙げられる。さらに医師の倫理性と客観性について『誓い』と題した文章が全集に収められ、現在でも『ヒポクラテスの誓い』として受け継がれています。 医術とは神に仕えるわざであり誓いは神に対してです。

「医の神アポローン、アスクレーピオ、……..

および全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。(抜萃)
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。同様に婦人を流産させる道具を与えない。
生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう。
しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。

※タラソテラピーは、タラソ(海洋)とテラピー(療法)の. 合成語であり、古くギリシャ時代から海水や海辺の環境. を利用した療法が行われてきた。死海の塩分濃度30% → 身体への脱水作用
イスラエルでは、死海浴や塩を利用した乾癬やリウマチの治療センターや療養所が多数ある。

◎現代の「患者と向き合わない医師」の一例として

『3.11 子ども甲状腺がん』追加提訴したじょせいの陳述。青木美希 朝日新聞報道記者の記事

(福島第一原発事故以降、300人以上の子供達に甲状腺癌が発症)


「311子ども甲状腺がん裁判」、追加提訴した女性が陳述しました。傍聴席はフリーランスの記者が多く参加していました。私も行ってきました。 陳述全文をお伝えします。
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「開示したカルテを見て、医師が嘘をついていたことがわかった」

震災が起きた時、私は小学6年生でした。ランドセルを玄関に放り投げて学校に行き、ブランコに乗っていた時に大きな揺れがきました。
 原発が爆発したことは、よく覚えていません。ただ、将来自分ががんになって、病院に行く想像をした一瞬は覚えています。いつかがんになって死ぬかもしれない。12歳で、そういうことを、なんとなく受け入れていました。
 原発事故後の世の中の急な変化で、感情が麻痺し始めました。目の前が薄く暗くなり、沼の中を歩いているような苦痛な日々でした。でも毎日学校があって、部活に行き、友達と家に帰る。その繰り返しで、ニュースで語られる「フクシマ」と、自分の生活はかけ離れていました。外国では、福島に住人は住めないと言われているらしいけれど、私の目の前には震災すら日常になった、日々がありました。
 高校2年生のときに甲状腺がんが見つかって、手術することになりました。どうしてがんになったのか、先生に聞くと、「この大きさになるには10年以上かかるから、原発事故の前にできたもの」と説明されました。私は、「原発事故と関係ない」というその言葉を素直に受け入れました。
 医師は私を見て「みんなあなたのようだったらいいのに」と言いました。その当時、「甲状腺がん」という言葉は原発事故と直結していて、この診断を聞いて、普通でいられる人はほぼいないのだと感じました。
 検査も手術も、異様に軽い雰囲気で進められて、見つかってラッキーだったね。せっかくだし取ってしまおう。とってしまえば大丈夫。そんなノリでした。
 手術を終え、大学に進学すると、私は激しい精神症状に苦しめられるようになりました。幻聴、幻覚、錯乱状態、発作。身がちぎれそうな、激しい苦痛が9年続きました。その時はなぜ、そのような症状が出るのか、わかっていませんでした。でも、大学卒業後に受診した精神科で、震災のPTSDと言われました。
 震災や原発事故があっても大丈夫だった。がんになっても大丈夫だった。
 そう感情を麻痺させてきたツケを払うように、心も体も壊れていきました。
 裁判のためにカルテを開示すると、1回目の検査の時は、がんどころか、結節もありませんでした。わずか2年で、1センチのがんができたのです。しかも、リンパ節転移や静脈侵襲がありました。
 「事故前からあった」という医師の発言は嘘でした。この事実を知り、私の精神状態は悪化し、提訴後、会社を辞めました。
 私は9年前、手術の前日の夜、暗い部屋で1人、途方もない不安や恐怖を抱えていました。その時、私の頭に浮かんだのは、「武器になる」という言葉でした。
 私は当時、「甲状腺がんの子ども」を反原発運動で利用する人に怒っていました。私は、大人たちの都合のいい「かわいそうな子供」にはならない。なにがあっても幸せでいよう。そう思いました。
 不安と恐怖と混乱で、溺れてしまいそうな中、手繰り寄せて、掴んだものは、怒りです。尊厳を侵された時、怒りが湧くのだと知りました。
 それをかすがいに、甲状腺がんへの不安を乗り越えた高校生の時の私と共に、今、私はここに立っています。でも大人に利用されたくないと、強く願っていた私は、気づくと、国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。
 私が受けてきたものは構造的暴力です。命より、国や企業の都合を優先する中で、私たちの存在はなかったことにされていると気づきました。
 私たちは論争の材料でも、統計上の数字でもありません。甲状腺がんで、体と人生が傷ついた私たちは、社会から透明にされたまま、日々を生きています。
 私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないということを肌で感じることでした。十分すぎるほど諦め、失望しました。でも、私は、抵抗しようと思います。
 命と人権を守る立場に立った、どうか独立した、正当な判決をお願いします。
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