20210711 東淀川教会礼拝宣教要旨「二重基準の病理」担当 金田恆孝
本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
申命記/23章 18節
イスラエルの女は誰も、神殿娼婦になってはならない。またイスラエルの男は誰も、神殿男娼になってはならない。
雅歌2章 13節
いちじくの実は熟しぶどうの花は香りを放ちます。恋人よ、立ち上がって来なさい。美しい人よ、さあ来なさい。
イザヤ書3章 16節
主は言われた。まさにシオンの娘たちは高ぶり首を伸ばして歩き、色目を使う。気取って小股で歩き、その足首の輪飾りを鳴らす。
ホセア書4章 14節
だが、娘たちが淫行にふけっても嫁たちが姦淫をしても、私は罰しない。男たちも遊女らと一緒になって離反し神殿娼婦らと共にいけにえを献げるからだ。悟りのない民は滅びる。
マタイによる福音書21章 18-21節
朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。
道端に一本のいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、木はたちまち枯れてしまった。弟子たちはこれを見て驚き、「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と言った。イエスはお答えになった。「よく言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになる。
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マタイによる福音書21章 31節
イエスは言われた。「よく言っておく。徴税人や娼婦たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入る。」
本日の讃美歌
546 聖なるかな 聖なるかな
1.246 神の恵みは
1.331 主にのみ十字架を
2.167 我をも救いし
共同の祈り (Our Pray ・われらの祈り)
時の始まりであり終わりであり 永遠なる神さま
万物といのちの造り主 唯一であり全てである神さま
すべてのいのちを導き 小さくされている者の祈りに応える神さま
『聖なる 聖なる 聖なる主よ』✕3回 (Holy)
聖母マリアを通し我らに与えられた とりなしの主キリスト・イエス
その十字架のもとに集うことができたこと 感謝いたします 『主の恩寵(おんちょう)に感謝』 ✕3回 (Grace)
神与え 神召し給う魂を軽んじ 肉体の生命のみを重んじ
世の声に翻弄され
主の声を聞こうとせず 過ちを繰り返す
日々であることを告白します
『我が罪を許し給え』 ✕3回 (Forgive My sins)
主の求める捧げ物は過ちと罪を認め悔い改める心
主は帰ってきた放蕩息子を受け入れ
神の御国を思い出した盗賊を捨てられず
悔いる者を友とし
汚れ疲れた心を洗い 新しい霊を注いでくださいます
主の許しと憐れみ無しに 我が道はありません
『主よ憐れみ給え キリストよ憐れみ給え』✕3回 (Mercy)
いと高きところに栄光神にあれ 地にある神の民に平和あれ
我らの主 天にいます主 全知全能の神よ 神のひとり子
キリスト・イエスよ
神のみちからであり神の息である聖霊よ
主に感謝し 主を讃え
主のすべてを賛美いたします。『グローリア、グローリア、グローリア』✕3回 (Gloria) Amen
宣教要旨『二重基準・ダブルスタンダードの病理』
以前はどこか未消化だった聖句「命じれば山が動いて海に入る」でしたが、この頃の異常気象がきっかけで起きた熱海の山崩れでリアルに感じられました。
旧約聖書に「神殿娼婦」と「遊女」が出てきます。神殿娼婦は異教の習慣であり、イスラエルの聖所においては厳しく禁じられていた(申命記23:18)のですが、実際にはイスラエルにおいても神殿娼婦との淫行が行われ、預言者はこれを厳しく非難したのです(ホセア記4:14)。旧約聖書では一般の遊女に対しては神殿娼婦ほどの非難は見られません。新約聖書に遊女・娼婦が登場します。イエスの時代にも神殿娼婦はあったのですが、きれいに隠されていると思います。娼婦たちの社会的地位は低く、特に律法学者やファリサイ派などの指導者層から差別・攻撃されていたわけです。しかしイエスは 「(被差別の)徴税人や(体で稼ぐしか生きられない)娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入る」(マタイ福音書21:31)と語った。
が、後のキリスト教会・キリスト者はイエスの姿勢を継承しなかったことになります。例えば、パウロは教会における夫婦以外の“淫行”を禁じ、そのような行いをなす人々を教会から排除するよう命じました。彼は“売春”も“買春”もキリスト者に禁止し「みだらな者は神の国を受け継ぐことができない」と神の国からも排除しました(Ⅰコリント 6:10)。
パウロの思想は後のキリスト教会に受け継がれ、教父時代においては禁欲が重視され、表向きには売春女性は教会から排除されたのですが、同時に「必要悪」として暗黙に認められていました。このような表と裏、二重の基準、ダブルスタンダードの姿勢は中世ヨーロッパのキリスト教会にも継続され、「社会や教会の聖性・純潔が守られるために」売春は陰で是認されてきたのです。宗教改革者たちも売春女性を厳しく差別しつつも、カトリック教会と同様「必要悪」として彼女たちを容認してきました。今日のプロテスタント教会も体質は同じです。私的な賭博は違法だが国が主導するカジノは良い、と同じです。この“本音と建前”とも“表と裏”とも表現される二重基準が抱える病理は、今日の「福祉」や「教育」や「医療」に強く感じられます。
人間の本質的な「性」をタブー視し、二重基準を容認する姿勢からは、性に対する神の祝福、豊かな感受性を見失うことになります。元来「ぶどう」は性愛により子を宿し、乳房で育む女性の働きを象徴するものでした。「いちじく」は男性の「性」を象徴しています。システムとしての神殿娼婦を利用しながら、個人責任で体を売る女性を差別する「おエライいさん」を非難して、「オマエさん達の種から子が生まれないように」と言っているのです。ちなみに“シオンの娘”とは「神の娘」=イスラエル、神とともに歩む民たち、男も女も含む、全てを表す言葉です。
先週の出来事
熱海の“山が動いた?”土石流。実は自然災害で山が動いたのではなく、廃棄土砂を宅地造成のための土盛りに利用し、植林や排水設備などせず転売し、責任の所在も管理責任も曖昧になっている現代の無責任インフラ整備が起因らしい。熱海だけでなく全国あちこちに潜んでいると感じられる。