神学・Other World アザーワールド

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某大学の神学部における神学生たちの砦「アザーワールド」。そこに埋もれかけている手書き・変色し文字も消えかかっているわら半紙。青焼きと呼ばれた読みにくい青紫色の複写。 いまガタがきている手と眼で拾い集めて老眼鏡を通して視る…

PDFで掲載する資料は1970年前後の、神学生たちが残した記録であり、すでに遠くなってしまった過去の「歴史的資料」である。私自身がずるずると保管していたものであり、死ぬ前に「なんとか」せねばならないとの思いからである。神学生たちの名前も、教授たちの名前も、差別的な言質も、反社会的言質も、誤字脱字もそのまま「歴史的資料」として残したい。今から振り返ると、恥ずかしくて燃やしてしまいたい私自身の稚拙かつ傲慢な“恥さらし”な文章も含め、先輩諸兄の文章も晒させていただく。

  友人の紹介で「1971年の悪霊」堀井憲一郎著 角川書店2019 を読んだ。著者は1958年京都生まれのコラムニスト。1971年に京都の某高校で紛争があり、ロックアウト、機動隊導入。その2年後に著者は高校に入学した。いわば“造反有理”“革命無罪”の雰囲気が残っており、そこを覆っている“思念”に強い違和感、断絶を感じたことを緒として、1970年前後の固有な時代性と思想背景について平易な言葉で語っている。バリストを行った「悪霊」の側から読んでも、「悪霊たち」の行動と言葉をトンデモナイものと感じる側からも、あの時代を振り返る、理解するためのよい材料と感じる。

 学生運動全体の中でも、“神学部” “神学生” の活動、言葉は他学部のそれとはかなり異なっていたと思う。学問や教育・大学の社会的責任を問う活動や、営利としての学費値上げ反対運動や、社会の“悪”を告発し、悪の被害者(疎外されている人々)に連帯しようとする他学部の運動とは少し異なり、セクト的ではないが、神の前における自分自身の在り方、存在根拠、更には教会の根拠を根底から問い直さなければならない、という切迫感を伴っていたために、“熱”の種類がやや異なっていたと思う。その“特別な熱”を感じ取っていただくためにもこの資料は役立つと思うのです。


  ご意見などございましたら、私、金田恆孝までお寄せください。(fatminicanada@gmail.com)

まだ途中です。1970年以後もこれからです。