東淀川教会20180708礼拝創世記6:4-7マタイ5:22-23宣教題「裁くのは神のみ」司式:金田恆孝

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旧約聖書 創世記6章4-7節
6-4 The Nephilim were in the earth in those days, and also after that, when the sons of God came unto the daughters of men, and they bare children to them: the same were the mighty men that were of old, the men of renown. そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
6-5 And Jehovah saw that the wickedness of man was great in the earth, and that every imagination of the thoughts of his heart was only evil continually. 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6-6 And it repented Jehovah that he had made man on the earth, and it grieved him at his heart. 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
6-7 And Jehovah said, I will destroy man whom I have created from the face of the ground; both man, and beast, and creeping things, and birds of the heavens; for it repenteth me that I have made them. 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

新約聖書 Matthew マタイ福音書5章22-23節
5-21 Ye have heard that it was said to them of old time, Thou shalt not kill; and whosoever shall kill shall be in danger of the judgment: 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5-22 but I say unto you, that every one who is angry with his brother shall be in danger of the judgment; and whosoever shall say to his brother, Raca, shall be in danger of the council; and whosoever shall say, Thou fool, shall be in danger of the hell of fire. しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

宣教題「世を裁くのは神のみ」
東北では放射能被害に怯えている人々。沖縄では辺野古の海の埋め立てが強行されている。各地で地震が頻発し、西日本や四国では大雨が家を流し、弱った人々を更に襲っている。そんな中での、一日のうちに七名に対する死刑執行! 大量殺人に対抗するが如く、「罪人を殺してあげてその罪を浄化し、極楽往生させてあげるのがポアである」という、オウム真理教の教義そのままに、一挙大量の「ポア」を執行した。「精査を重ね、鏡を磨いて一点の曇りもない鏡の如く」執行書にサインした、との法務大臣の弁。とんでもない。オウム真理教事件は、何がどうしてこうなったのか、まだ殆ど解明されてはいない。EU各国から非難の声が上がった。こんな、傲慢な、とんでもない「裁き」を神さまは許しておかないだろうと恐ろしい予感が走る。
ノアの箱舟による世の中のリセットの前に、ネピリム(天から落ちてきた巨人)がやりたい放題の悪事を行ったというお話があります。力、権力(お金という権力も含む)をたくさん持った巨人が好き勝手なことをして地上を汚していったと。反省能力、自浄能力を失った地上をリセットするために大洪水が引き起こされたと。
「今は昔…」という日本文学におけるすばらしい「おまじない常套句」で長い長い「時」を超えれば、「再生のための滅び」という希望につながるのかもしれない。
「殺すな」という律法についてのイエスの言葉。「あなた方は隣人に対して生活の中で“判決”を下してはならない」という言葉として理解可能なメッセージがある。日々の生活の中で隣人に対し「あいつの行為は万死に値する」「彼は生まれてくるべきではなかった」などと「裁く」。ただその裁きを王や行政が「民から委ねられたこと」として代理執行することを処刑とする。公的処刑ではなく、「まず自分たちで解決する道、和解の道を探れ」とのイエスのメッセージが聞こえる。或いは、「殺さないと気が済まないのなら、巨人、ネピリムに処刑を委託するのではなく、あなた自身が石を投げなさい」とのイエスのメッセージも聞こえてくる。
元オウム真理教幹部の中川智正死刑囚(55)は、収監されていた拘置所で、教団が化学兵器で武装していった過程について、自身の経験と照らし合わせつつ考察する論文の執筆に精力的に取り組んでいた。そんな当事者の努力に高みから冷水を浴びせる大量執行であった。死刑執行で浮かばれる死者の魂などあろうはずもない。

○先週の出来事
横浜での「点滴殺人事件」。一般的には、犯罪には動機がある。しかし、これも特定の個人に対する怒りなどではない、何の得にもならない、攻撃のための攻撃。無差別なテロなのだろう。そんな事件が頻発している。なにかが激しく「病んでいる」。なにがどう病んでいるのか、そこがなかなか見えてこない。ただ、武器は銃であれ、薬であれ、注射針であれ、「発射」され続けている。発射する側の「こころ」に近づきたい。

 

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