20190324 東淀川教会礼拝
2019年3月24日 受難節第2主日礼拝
旧約聖書 第 17 章1-16節
1 ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
2 主の言葉がエリヤに臨んだ、
3 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
4 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
5 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
6 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
7 しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。
8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、
9 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。
10 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。
11 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。
12 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
13 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
14 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。
15 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。
16 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。
新約聖書 マタイ福音書10章:41-42節
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
10:42わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
聖書から聴く 主題「飽食は豊かか?」
~豊かな冷凍保存食品に飽いてしまった現代~
出エジプト後の、奴隷状態から脱する苦難な旅路の途上で不平不満の声があがった。「まだエジプトで奴隷だった頃の方が食べ物には困らなかったしまだマシだった」と。水も与えられた。美味しくはないが空腹を満たす「マナ」も与えられた。が、マナにも飽き、肉やワインを求める声が大きくなっていった。
預言者エリアは財力・食料と軍事力をほしいままに「貧しい者」を作りだしているする「豊かな者」王たちの罪を明らかにしたために追われる。追われたエリアは辺境に追いやられ、カラスや、死を覚悟している「最も貧しい者」に養われる。一杯の水を分けていただく。貧富の格差の最後尾を支えられる神の御心を明らかにしていく。
同様に最も最下層に押し込められて恥と痛みを忍んでいる人々のところに仲間を派遣するイエス。派遣されたエリアの姿とぴったり重なる。イエスの仲間ということで一杯の水を分かち合っていただけるのなら、神様の大きな祝福をいただける、という。
料理や美味しいもの紹介のテレビ番組がゴマンと溢れている。「エジプトでの豊穣」と重なって見える。高額ではないが評判のお店にレアな食感を求めて長蛇の列を作る人々。彼らは、本当は何に飢え乾いているのだろうか。一時間以上も並んでやっとありついた評判のラーメンは彼らの乾いた心を潤しているのだろうか。
誰が作ったのかも、どこの国から運ばれてきたのかも、誰が調理したのかもわからないチンで暖まる「冷凍食品」が猫や犬の食事同様、とても「うまい」。チンが「母」に見えてくる。
○先週の出来事(気になるニュース)
聖書の「やもめ」は生きづらさを抱えた「最も貧しい者」と描かれることが多い。現代の、特に子を抱えたやもめはノイローゼになって当たり前の情況に置かれている。子育てで余裕なく苛立つこともある。が、虐待母ではないか?と見張る世間やご近所の監視の目で更に追い込まれている母たちがいる。
追い込んで「正義漢」を自称しているワタシタチがいる。