190721東淀川教会礼拝 詩編40 マルコ6 宣教要旨「わたしにぶらさがるな」牧仕・金田恆孝
旧約聖書 詩篇40篇1-7節
40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。40:4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
40:5 このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」
40:6 「呼ばわれ。」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。40:7 主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。40:8 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
新約聖書 マルコ福音書6章45:-48
6:45 それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。
6:46 そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。
6:47 夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
6:48 ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのを
ごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。
6:49 彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
6:50 みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。
6:51 そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。
聖書から聴く 主題「わたしにぶらさがるな」
イエスはご自身を中心とした教団を、ユダヤ教の宗派を作ろうとしていたのでしょうか。信仰の教祖、リーダーとして信徒を増やそうとしていたでしょうか。イエスは「キリスト教」を広めたのでしょうか。ともにいたのは福音を伝え働く仲間だったのでしょうか。それとも「弟子」でしょうか。
その後、イエスをメシア、救い主とする信仰共同体・教団が形成され、キリスト教が様々なかたちで広がっていきましたが、十字架を境としてそこには「歴史的事実」と「信仰としての心的事実」の大きな断絶があります。
ガリラヤ湖北東岸ちかくの「地の民」が多いベトサイダで「五つのパンと二匹の魚」から始まる大規模な食事会があり、その後、疲れ切っていただろう仲間たちを先にガリラヤ湖北西岸のカファルナウムに先に帰らせ、イエスにしがみつこうとする、癒やされようとする人々の世話をひとりでし、解散させて、山の中でひとりで礼拝を行われ、後からイエスもひとりで西岸に向かっていた箇所です。
彼らが乗っていた舟が逆風で進めなくなっていた、とは、彼らがあまりにイエスに依存し、指示待ちで、それぞれが世と向き合う、自立した、それぞれの姿勢を持ち得ていなかったことを表していると思われます。
イエスが水の中か岸辺か、一人で先に進んでいった。彼らが逆風か、何らかの理由で前に進めなくなっていたのを横目に、通り過ぎようとされた。この記録はマルコ福音書のみですが、彼らとイエスとの関係を行間に表現していると思われます。イエスを見て「幽霊だと思い、おじ恐れた」とは、ひたすら主なる神に用いられて働いているイエスと、イエスにぶらさがって盲従しようとしている彼らとの“おおきな隔たり”があったのでしょう。『困っているわたしたちを放っておくのか』とパニック状態だったのでしょう。
親が見えなくなって泣き叫ぶこどもと変わらないのでしょう。
地の民として世の凹みに落とし込められている人々。
「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。40:4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。」の福音のため働き続けるイエスと、そのイエスにしがみつき、ぶらさがろうとする仲間たち。ヨハネ福音書15章を待つまでもなく、はじめから仲間を「友」と呼んでいたと思われるのです。「わたしにぶらさがってはいけない」とのイエスの声が聞こえるのです。
○先週の出来事(気になるニュース)
韓国の徴用工問題。ねじれにねじれまくっているが、そもそも、徴用された韓国の人々と徴用した日本企業の間の問題。なぜ国が訴えられている企業を飛び越えて「国に売られたケンカ」みたいな反応を示し続けるのか? 訴えられている企業たちがまず歴史的事実を踏まえて応答すべき。国の後ろに隠れて、「戦争だったから仕方なかった」とか、「国が日本企業の悪行もチャラにしてくれたハズ」なんて理屈はチガウのでは? 経済第1の国もまた「主権在企業」の感覚なのだろうか。