190922 宣教要旨 詩編2:1-9 マルコ福音書8:14-21 「やばいパン種」宣教 金田恆孝 

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聖霊降臨節第16主日礼拝

旧約聖書 詩編2篇1-9節
いかなれば、もろもろの国人はさわぎ立ち、
民らはむなしきことを謀るや。
地のもろもろの王はたちかまえ、長(おさ)らは共にはかり、
主とその受膏者(じゅこうしゃ)とに さからいていう、
我らその枷(かせ)をこぼち、その縄をすてんと。
天に坐(ざ)する者 わらいたまわん、主かれらを嘲りたもうべし。
かくて主は 憤りをもて ものいい、
大いなる怒りをもて、彼らを怖じ惑わしめて のたもう、
しかれども我わが王を わがきよきシオンの山に立てたりと。
われ詔命(みことのり)をのべん、主われにのたまえり、
汝はわが子なり、今日われ汝を生めり、
われに求めよ、さらば汝にもろもろの国を嗣業(ゆずり)として与え、
地の果てを 汝のものとして与えん、
汝、くろがねの杖をもて、彼らをうちやぶり、
陶工(すえつくり)の器物(うつわもの)の如くに、打ちくだかんと。

マルコによる福音書8章14-21節
8:14弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン
一つしか持ち合わせがなかった。
8:15そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。
8:16弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないためであろうと、互に論じ合った。
8:17イエスはそれと知って、彼らに言われた、「なぜ、パンが
ないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。
8:18目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。
まだ思い出さないのか。
8:19五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、
幾つのかごになったか」。弟子たちは答えた、「十二かごです」。
8:20「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに
拾い集めたか」。「七かごです」と答えた。
8:21そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。

聖書から聴く 主題「やばいパン種」
『まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。』他にはあまり見られない、このしつこいほどの繰り返し。マルコ福音書の記者が伝えようとする、これはかなり深刻な、悲痛な、激しい叫びである。「ここから聞き取ってくれ! 理解してくれ! わかってくれ!」と。それはイエスの叫びと重なっているのだろう。

イエスによる「パン種」の喩えを用いた叫び。ファリサイ派のパン種とヘロデのパン種に気をつけよう、との呼びかけ。マタイ福音書ではファリサイ派(律法学者集団)とサドカイ派(神殿祭司)のパン種のやばさについて。ルカ福音書ではサドカイ派のパン種のやばさ。
マルコ福音書では、律法・(法)で人々を支配、コントロールしようとする知識階級と、ヘロデ、すなわち権力階級の両方を“悪しきパン種”としている。マタイやルカでは、権力側のやばさに言及していない。権力側へのあからさまな反発・批判を避けようとしていると思われる。いわばイエスの告発のラディカルさをもっとも表しているのがマルコ福音書となる。
最初の食べ物の分かち合いより二度目の分かち合い、助け合いの方が難民の人数も減り残ったものも減り、無駄なく必要に応じて合理的に行われており、神の与えたパン種の本質を表現している。律法で人々を縛るファリサイ派(学者たち)や、権力で人を縛るヘロデ王派の、悪しき「力」は確実に広がっており、その両方を理解し、互いを守り合うためにこれを警戒すべきと警告を発している。
世の権力者たちやそれに追従する知識人たちが人々を心理操作し、国にとって良い民と良くない民とを分断し、分別し、「良くない民」に更に重荷を負わせているのは時代を超えた現実。
悪しきパン種を駆逐する主のパン種をこそ求めたい。

○先週の出来事(気になるニュース)
東京電力、および原発推進勢力の行ったことに対する無罪判決。開いた口が塞がらないとはこのこと。国策だから無罪?
東京電力のみならず国の責任も免除するための判決?
主の憤りをこそ恐れたい。

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