2020年6月28日 東淀川教会礼拝 列王記10章 マタイ福音書6章 宣教題「悩まないため悩む」

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

列王記10章21~11章4節

10章21 ソロモン王が飲むときに用いた器は皆金であった。またレバノンの森の家の器も皆純金であって、銀のものはなかった。銀はソロモンの世には顧みられなかった。22 これは王が海にタルシシの船隊を所有して、ヒラムの船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に三年に一度、金、銀、象牙、さる、くじゃくを載せてこさせたからである。23 このようにソロモン王は富も知恵も、地のすべての王にまさっていたので、24 全地の人々は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた。
111 ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。2 主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。3 彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。4 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。

マタイ福音書625−34節 
 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

宣教題「悩まないため悩む」

 イエスがソロモン王に言及したとき、単に“ソロモン王の実現した栄華なんぞは空しい”程度で済ませたはずはない。

 また、“この世のことで悩まなくていい、この世を離れたら神の国があるんだから”などという現実逃避を勧めていたはずもない。繰り返し留意すべきは、福音書が記されたときはすでに「キリスト教」の宗派化、セクト化が意図されていることは念頭に置き続けなければならない。

 父のダビデは、モーゼがシナイ山で神から与えられた契約を納めたとされる「契約の箱」(律法)をエルサレムにもたらしたが、ソロモンはそれを祀る神殿と祭壇を建設した。民の宗教を国家宗教にした。信仰は神殿に詣でることであり、律法=国の法律となり、神よりも国を愛することが第一義務となる。個人と神との関係を第一義とし、ひたすら神の声をききながら、神の民に戻ることを説くエリヤやイザヤなどの預言者が王に対して批判を強めた。エジプトのファラオの娘を王妃に迎え、フェニキア人のティルスと同盟し、エジプト、バビロニア、レバノン、アラビアなどの通商に課税し、宮廷はその洗練された組織と多数の官吏とで溢れ、王のハーレムは大きく、遠くから王侯たちが、この最も賢明な王に会いにきた。首都は巨大化した。材料の供給や熟練した細工人はフェニキアから得ると共に、労働力には現地人を強制的に徴募した。シバの女王とも親密な交易を行った。また、ソロモンはそのほかに壮麗な宮殿も建設したので、民衆への重税が課せられ、反発を受けて死後に王国は南北に分裂してしまった。

 列王記が伝えるソロモン王の姿は、国に富をもたらし、国民に王を神の代理として崇拝させる理想的な王として近隣諸国からは見られた。が、列王記が描くソロモン王は、民と神の関係を断ち、お金がなければ生きていけない社会を作り出し、貧しい者=社会的弱者を作り出すシステムだった。

 イエスは、国家が「宗教」を主宰し、民全体を宗教儀礼、神殿支配に従属させるあり方を明らかに非難している。民の信仰、民と神の直接的な関係を断ち切り、国が主宰する神殿が信仰の対象となることはイエスにとって許しがたいことだった。

 イエスが語る「何を食べようか、何を着ようかと思い煩うな。空の鳥を見よ」は、「国家や神殿や律法に服従する、従うのではなく、命を与え、命を育む神との直接的な関係を取り戻そうよ」と語りかけている。それを自ら示すための「アバ、父よ」(神を、お父ちゃん、お母ちゃんのチャンと呼ぶ=アバ)だった。

 イエスが語る「異邦人」とは、ソロモン王に守られようとする人々であり、神に従うのではなく、国家に従う人々を指していたと思われる。

「人はみんな神さまから命を吹き込まれ、一緒にあなたのなかに住んでくださり、やがて神のもとへとその魂は帰っていくんだよ。その本当のとうちゃん、かあちゃんを何よりも愛し、養われ生かされましょうよ。その神さまの教えは、人は自分を、他の何物にも変えることのできない、かけがえのないものと感じているように、隣人もともに神さまにとってかけがえのない兄弟姉妹としなさいってことだから、互いに祈り、支えましょうよ」というメッセージは、国やお金や食べ物のことで悩まないために、自由になるために、悩みましょうよ」のメッセージとなると思われる。

 先週の出来事 

 コロナは所詮風邪であり、毎年DNAが変わるインフルエンザであり、ウィルス感染を必死で防ごうとすることは、集団免疫を遅らせ、感染を先送りさせる(キャリーオーバー)をもたらす、と語る医師たちがいる。この先、第二波、第三波と感染が広がるのならば、まさにキャリーオーバーを続けるだけになることが恐ろしいと感じる。60歳以上の年寄りは死ぬ覚悟と準備をしたほうがよいのでは、と思う老人のわたし。ただ、この結末と道理をしっかりと見届けるまではぶざまであっても生きていたいと主に願っている。



コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です