2020年8月16日 東淀川教会礼拝 列王記下4章32-36節 ルカ福音書14章1-6節 宣教要旨「濃厚接触で癒やす預言者たち」 宣教 金田恆孝
列王記下4章32~36節
32 エリシャが家にはいって見ると、子供は死んで、寝台の上に横たわっていたので、
33 彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った。
34 そしてエリシャが上がって子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上にあて、その身を子供の上に伸ばしたとき、子供のからだは暖かになった。
35 こうしてエリシャは再び起きあがって、家の中をあちらこちらと歩み、また上がって、その身を子供の上に伸ばすと、子供は七たびくしゃみをして目を開いた。
36 エリシャはただちにゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼べ」と言ったので、彼女を呼んだ。彼女がはいってくるとエリシャは言った、「あなたの子供をつれて行きなさい」。
ルカによる福音書14章1-6節
14:1ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。
14:3イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。14:4彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。
14:5それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。14:6彼らはこれに対して返す言葉がなかった。
宣教題「濃厚接触で癒やす預言者たち」
預言者エリアを養った貧しい母子家庭の息子が死んだときの癒やしもそうですが、エリシャの癒やしのわざもまた「濃厚接触」による癒やしでした。その身を生命活動を停止した少年に隅々まで重ね、一体化する行為でした。少年の病を我が身に移し、我が身のいのちを少年に注ぎ出す行為である。身体を自身の体温で温め、歩き回りながら祈り続け、また身体を少年に重ね、少年が癒やされなければエリシャもまた癒やされずともに死ぬという、文字通り必死の覚悟による行為なのでしょう。
ここに出てくるエリシャに仕えていた「ゲハジ」は、欲に目が眩んで皮膚病になりエリシャの元を去った人です。イスラエルのヨラム王の頃、北方の強国アラムの王に仕える軍司令官であり異教徒であり重い皮膚病に悩むナアマンがエリシャに癒やしを求めたとき、顔も見ないで「ヨルダン川で七回身を洗いなさい」とエリシャから告げられ、ぞんざいな癒やしと感じて怒り帰ろうとしますが、部下の助言でエリシャの言葉に従い癒やされ、神の働きを感じ、もとの国に戻ってもエリシャの教える神に従おうとします。
身を重ねての癒やしとは正反対の、言葉だけの癒やしですが、救いを求めたナアマン司令官を、たとえ敵国であろうと主が憐れまれることに確信があったのでしょう。神のなさったわざゆえに、お礼の品々を受け取ろうとしなかったエリシャに代わり、黙って、高価な品々を受け取ろうとし、エリシャの怒りを受け、ナアマンの皮膚病が移り、エリシャの元を去った「ゲハジ」の悲しい姿があります。「貧乏な自分たちが、癒やされた金持ちからの贈り物を受け取ってなぜ悪い!との思いが、神の働き、エリシャの信仰を裏切ったことになったのでしょう。(列王記下5章) 結婚式のバイトなどで生活費を稼いでいる牧師たちにもグサッと突き刺さる箇所です。
ルカ福音書の、安息日にファリサイ派の家に食事に招かれてそこに「水腫」を煩っている人がおり、イエスが「安息日に苦しんでいる人を癒やすことは正しいことか?」と問い、手を置いてその人を癒やした、という記事があります。
ファリサイ派はローマの総督と繋がり、イエスを捉えようとしていた一派です。水腫の人を癒やした記事はここだけです。本人が癒やしを求めたわけでもありません。「水腫」は肺水腫であれ、腹水であれ、下肢が膨れる病であれ、「富んで膨れ上がって病んでいるローマ帝国側」を象徴していると感じられるのです。
強大な軍事力で周辺諸国を支配し、「ローマ市民」資格をもつ人々は労働を奴隷にさせ、倦くほどの贅沢な食事のため肥満や糖尿病に悩んでいたとの記録もあります。
「神に生かされること」と「謝儀や食料や軍事力や医療や財産や保険などに生かされること」の分岐点はどこにあるのでしょう。エリシャとゲハジについて、イエスの言葉について、あらためて主の言葉を聞きたいと願います。
先週の出来事
韓国の元徴用工訴訟の訴状受け取り自体を拒否している日本政府。訴状内容が一般に公開されていない。日本国政府側の言い分はともかく、訴えられている内容を詳細に知る義務は私たちにあると思うのですが、ほとんど報道されません。インド洋の島国モーリシャス沖で三井商船が運航する大型貨物船が座礁し大量の燃料が流出した大事故。環境非常事態宣言がモーリシャスから発信されている。コロナ騒動で東京都などから出される○△□宣言より緊急事態だと思われる。広島・長崎の「過ちは繰り返しません」の宣言の核心部分、「過ちを防ぐためにはどうしたらいいのか」のこころそのものが薄らいでしまっていると感じてしまう。