20201004 東淀川教会礼拝 宣教要旨 銭ってなんでしょう マタイ6:24 ルカ16:10

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創世記2316-19節 
16 そこでアブラハムはエフロンの言葉にしたがい、エフロンがヘテの人々の聞いているところで言った銀、すなわち商人の通用銀四百シケルを量ってエフロンに与えた。17 こうしてマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、畑も、その中のほら穴も、畑の中およびその周囲の境にあるすべての木も皆、18 ヘテの人々の前、すなわちその町の門にはいるすべての人々の前で、アブラハムの所有と決まった。19 その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。

マタイ福音書624-25節
6:24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

6:25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

ルカ福音書1610-13
16:9またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
16:10小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
16:11だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
16:12また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
16:13どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

 

宣教題「銭って何でしょう」
 江戸も東京も、都会は出稼ぎのための街でした。
♭“東京はいいところさ 眺めるなら申し分なし 住むなら青山に決まってるさ 銭があればね”
高田渡(銭がなけりゃ)
 銭がなくても人間らしく助け合って暮らせるならそれが一番。銭がなければ生きられず銭を稼ぐために東京に出稼ぎし日雇い労務者となり家族バラバラになる…戦後の高度経済成長は人材提供の後進地方と、ホワイトカラー中心の先進都市との格差を基礎として成り立っていたと思う。

 聖書に最初に出てくる銭はアブラハムが死んだ妻サラの墓を銀400シケルで購入した出来事。本来は土地所有しない遊牧民が妻の墓のために土地購入した。一族の記念塔のごとき感覚か。当時は貨幣は国が発行した価値保証の貨幣ではなく、金、銀、銅や宝石などそれ自体の交換・使用価値そのものだった。1シケルは一ヶ月分の労働賃金、穀類50kgほどか。

 マタイ福音書では、何を食べようか何を飲もうかと思い煩うな。どうやって稼ごうかと、お金のことで思い煩うな、つまり、お金を得るために悩んではならないし、出稼ぎのために家族がばらばらになったりしてはならない、お金で不幸になる人を増やしてはならない、が中心的なメッセージであった。

 イエスたちのメッセージは、神に生かされること、自然に生かされることと、お金、金銀財宝に生かされることは相容れないこととして語っている。お金は富む者と貧しい者を作り出す。神はただで地上を与えてくださっているが、銭がなければ人間らしく生きていけない社会そのものが間違っている、というメッセージだったと思われる。「貧しい者はさいわい」とは、神によって生かされることを第一義とし、「お金で得られる幸福のために思い煩う人々」への、思い煩うな、のメッセージだった。

 ルカ福音書では、国家が発行する貨幣に依存し、もっと豊かな生活を求めることと、神によって生かされることのダブルスタンダードな姿勢がはっきりと打ち出されている。経済活動で強者や貧者の格差を作り出しても、不正に集めた富であってもそれで友を得ることや助け合うことは良いこと、とのメッセージが感じられる。いわば“建て前と本音の二重性”を肯定的に評価している。

 「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。」とは、資本主義経済において、雇い主が賃金労働者として人を雇う場合などの、“良い使用人” 尺度、哲学がそこに語られているように思われる。

先週の出来事

新型コロナウイルスの感染が確認された米国のトランプ大統領。病気になることで自分の傲慢さに気づき謙虚さを身につけるチャンスになるが、テレビ討論を見る限り、かなり難しそう。むしろ米国大統領のゴーマンさがそのまま米国や日本におけるごう慢さの表れと感じる。「わたしは強い国の強い王なのだ!」みたいな。

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