20201213 東淀川教会礼拝宣教要旨「女よ 泣いている場合ではない」
イザヤ書9章 1ー7節
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。02節あなたはその国民を増やし/その喜びを大きくされた。/彼らはあなたの前に喜んだ。/収穫を喜ぶように/戦利品を分けて喜び躍るように。03節彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭を/あなたがミデヤンの日のように/打ち砕いてくださった。04節地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服は/すべて焼かれ、火の餌食となった。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。06節その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。07節主は御言葉をヤコブに送り/イスラエルに下された。
マタイによる福音書 01章 抜粋
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。 03節ユダはタマルによってペレツとゼラをもうけ…05節サルモンはラハブによってボアズをもうけ… 06節エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ボアズはルツによってオベドをもうけ、…16節ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
宣教題「女よ 泣いている場合ではない」
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章)
マタイが記すイエスの系図。タマルは夫エルの子を得ることができず、母となるために遊女となって義父ユダを誘惑しユダの子を得て一族の母となった女性。ラハブはエリコの町の遊女でスパイとなって町を攻めるイスラエルに勝利をもたらした異教徒。ルツは夫と死に別れた異邦人で異教徒だが雇われたイスラエルの家に仕えた女性。ウリヤの妻バテシバはダビデと恋仲となりダビデにウリヤを殺させてダビデ王の妻の座を得た女性。そしてイエスの母マリア。ヨセフは“密かに縁を切ろうとした”とは、ヨセフにとっては信じがたい裏切りだったはずですが、マリアの物語をその子どもとともに引き受けることを選んだ。
マタイが記したイエスの系図をみても、そこには民族、婚姻制度、身分、異教徒、善悪、習俗や常識などを超えたダイナミックな女性の歴史が織り込まれている。父系性社会の中で、イエス自身が“誰の子かわからん大工の家の息子”との陰口の中で育ったのだろう。イエスの言葉や神の国の宣教がどれほど人々の心を揺さぶったとしてもガリラヤの地、ナザレのイエスを預言者としても、ましてやメシアとしても認めたくはない社会的上層部ばかりだったはず。
マタイ福音書の記者は、正面からはイエスこそ古から預言者によって語られたメシア、救い主、新しい王、として描きながら、一方ではその由緒のなかに常識や道徳感や善悪を超えた生々しい現実を織り込んでいた。
私たちは混沌とした現代の中で、今どのような現実の中に“わたしたち”がいるのか、取り残されているのか、疎外されているのか、分断されているのか、不安になる。が、この不安は案外と見えないかたちで広がっている現代の影なのではないか。
イエスの降誕を心からメリークリスマス!と祝えないコロナ騒動のなかで迎えようとしている。どのような闇の中でも混沌の中でも、嘆きうずくまったままでいることもなく歩みだし、子を、人を育んでいった女性の“生かされ方”の先にイエスの誕生があったことを心に留めながらクリスマスを迎えたい。
先週の出来事
やはりGoTo停止、いや、景気を後退させてはならない、停止はしない…行き当たりばったりの試行錯誤? 感染者の医療体制が大問題になっている最中に宮城県と岩手県の復興状況の視察…視察に行ける神経が理解できないが…。 誰が歓迎したのだろうか。経済的パワーバランスと人気取りばかりに現政権の目が向いているように思われる。
イザヤ書9章
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。02節あなたはその国民を増やし/その喜びを大きくされた。/彼らはあなたの前に喜んだ。/収穫を喜ぶように/戦利品を分けて喜び躍るように。03節彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭を/あなたがミデヤンの日のように/打ち砕いてくださった。04節地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服は/すべて焼かれ、火の餌食となった。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。06節その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。07節主は御言葉をヤコブに送り/イスラエルに下された。
マタイによる福音書 01章 01節
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。 03節ユダはタマルによってペレツとゼラをもうけ…05節サルモンはラハブによってボアズをもうけ… 06節エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ボアズはルツによってオベドをもうけ、…16節ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
宣教題「女よ 泣いている場合ではない」
01節 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。/死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。05節一人のみどりごが私たちのために生まれた。主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章)
マタイが記すイエスの系図。タマルは夫エルの子を得ることができず、母となるために遊女となって義父ユダを誘惑しユダの子を得て一族の母となった女性。ラハブはエリコの町の遊女でスパイとなって町を攻めるイスラエルに勝利をもたらした異教徒。ルツは夫と死に別れた異邦人で異教徒だが雇われたイスラエルの家に仕えた女性。ウリヤの妻バテシバはダビデと恋仲となりダビデにウリヤを殺させてダビデ王の妻の座を得た女性。そしてイエスの母マリア。ヨセフは“密かに縁を切ろうとした”とは、ヨセフにとっては信じがたい裏切りだったはずですが、マリアの物語をその子どもとともに引き受けることを選んだ。
マタイが記したイエスの系図をみても、そこには民族、婚姻制度、身分、異教徒、善悪、習俗や常識などを超えたダイナミックな女性の歴史が織り込まれている。父系性社会の中で、イエス自身が“誰の子かわからん大工の家の息子”との陰口の中で育ったのだろう。イエスの言葉や神の国の宣教がどれほど人々の心を揺さぶったとしてもガリラヤの地、ナザレのイエスを預言者としても、ましてやメシアとしても認めたくはない社会的上層部ばからいであった。
マタイ福音書の記者は、一方ではイエスこそ古から預言者によって語られたメシアとして描きながら、一方ではその由緒のなかに常識や道徳感や善悪を超えた生々しい現実を織り込んでいた。
私たちは混沌とした現代の中で、今どのような現実の中に“わたしたち”がいるのか、取り残されているのか、疎外されているのか、分断されているのか、不安になる。が、この不安は案外と見えないかたちで広がっている現代の影なのではないか。
イエスの降誕を心からメリークリスマス!と祝えないコロナ騒動のなかで迎えようとしている。どのような闇の中でも混沌の中でも、嘆きうずくまったままでいることもなく歩みだし、子を、人を育んでいった女性の“生かされ方”の先にイエスの誕生があったことを心に留めながらクリスマスを迎えたい。
先週の出来事
やはりGoTo停止、いや、景気を後退させてはならない、停止はしない…行き当たりばったりの試行錯誤? 感染者の医療体制が大問題になっている最中に宮城県と岩手県の復興状況の視察… 誰が歓迎したのだろうか。経済的パワーバランスと人気取りばかりに現政権の目が向いているように思われる。