20210725 東淀川教会 礼拝宣教要旨「キラキラネーム」宣教 金田恆孝
本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書11章 1-8節
エッサイの株から一つの芽が萌え出で その根から若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。知恵と分別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れる霊。
彼は主を畏れることを喜ぶ。その目の見えるところによって裁かず その耳の聞くところによって判決を下さない。
弱い者たちを正義によって裁き 地の苦しむ者たちのために公平な判決を下す。 その口の杖によって地を打ち その唇の息によって悪人を殺す。正義はその腰の帯となり 真実はその身の帯となる。
狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。 子牛と若獅子は共に草を食み 小さな子どもがそれを導く。
雌牛と熊は草を食み その子らは共に伏す。 獅子も牛のようにわらを食べる。乳飲み子はコブラの穴に戯れ 乳離れした子は毒蛇の巣に手を伸ばす。
マタイによる福音書7章 15-20節
「偽預言者に注意しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
宣教要旨『キラキラネーム?』
グローバル社会の中で、異なった個性をもつ者が互いに受け入れ合う共生(ダイバーシティ)とか、インクルーシブ(包含)などのキラキラワードが用いられる。が、究極のキラキライメージは、イザヤのこのビジョンだろう。
「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。 子牛と若獅子は共に草を食み 小さな子どもがそれを導く。… 乳飲み子はコブラの穴に戯れ 乳離れした子は毒蛇の巣に手を伸ばす。」
子羊や小山羊を守るためには狼や豹を撃退せねばならないし、乳飲児や乳離れした子を守ためにはコブラや毒蛇から遠ざけ、危険なものを排除しなければならないとする“世の判断”に対して、異なる主の正義がビジョンとして示される。狼や豹や毒蛇を恐れて敵視し、強い者に依存し、もっと弱い者を差別する“弱い者たち”も裁かれる。
「怖がらなくていい」と、大人ではなく、小さな子どもが弱い者たちを導くビジョン。ダメなおとなたちが裁かれるとき。
現代。弱い者たちを守る行政の働きを示す名称に“キラキラネーム”が多くなったと感じられる。
“発達障害”という言葉や概念が広まっていく中で、行政窓口のネーミングもずいぶん変わってきた。その一つが「こどもの未来部」。
美しい、キラキラした名付けだと感じられる。その旗の元に広がる様々な部署。保育振興課、幼児教育振興課などはまだ、なんとなく想像できる。が、「すくすく子育て課」「子ども家庭課」「健やか育成課」などは、部署名からは、何を対象とした、どのような働きを指しているのかわかりにくい。更には「福祉共生部共生社会推進室障害福祉課」となると、文字の多さとキラキラ度でめまいが起きそうになる。
どのような名称であれ、「良い木は良い実を結び、悪い木が良い実を結ぶことはない」というのであれば、その働きがどのような実を結んでいるかを見る他ない。
行政、学校、医療、民間緒活動の連携の中で様々なキラキラネームが生み出されている。関わる専門職資格も増えている。SC(スクールカウンセラー)、SSW(スクールソーシャルワーカー)、PSW(精神保健福祉士)、〇〇療法士 □□訓練士などなど。でもこれって、いろんな重荷を背負っている子どもたちにとっての良い実となっているのだろうか。
一方で、出生率は下がり続け、子どもたちの不登校の割合は増え続け、身体的・精神的アレルギー反応(拒否反応)は高まってきていると感じられる。
危険とされ、排除され、子どもたちと狼、豹、ライオン、コブラ、毒蛇と出会う機会がどんどん奪われているし、様々なウィルスとも出会えなくなり、その結果、より“危険度”が増している、とも思える。
先週の出来事
ある少年が水族館で大きなタコの動きに魅せられた。人間の二倍の手足でダイナミックで美しい動き。数日後の夕食にタコのぶつ切りが出た。食べられなかった。「どうして食べないの?」と聞く母に「嫌いになった…」としか答えられなかった。タコを通して大自然の生命と向き合っている少年。少年の心とゆっくり対話する大人の余裕が欲しい。