20230101 降誕節第二主日 元旦礼拝 宣教要旨「あり得ない」出エジプト記1章2章 マタイ福音書2章16節 担当 金田恆孝
本日の聖句(日本聖書協会訳)
出エジプト記1章 16節
「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるとき、お産の台を見て、男の子ならば殺し、女の子なら生かしておけ。」
出エジプト記2章 9節
ファラオの娘は彼女に言った。「この赤子を連れて行って、私のために乳を飲ませなさい。私が手当てを払います。」そこで、母親は赤子を引き取り、乳を飲ませた。
マタイによる福音書2章 16節
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
宣教の要旨「あり得ない」
今日は元旦ですが、「正月のめでたい雰囲気」など見当たりません。家家に日の丸の旗も門松も、着物を着て行き交う人々も、凧揚げする子どももなく、行き交う車にもダイダイなどの正月飾りもありません。
“年の初めの試しとて”という歌がありました。私が小学生(1958年〜)の頃、歌って覚え(させられ)た歌でした。
年の始めの 例(ためし)とて
終(おわり)なき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ
初日(はつひ)のひかり さしいでて
四方(よも)に輝く 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ
明治の初期に作られた歌で、作詞は「天つ神」の伊勢神宮側ではなく、「国つ神」の出雲大社側の宮司とのこと。ここに悲しみを感じます。
(終わりなき世)は千代に八千代に、(君が御影に比えつつ)は天皇の姿をそこに写して、の意味であり、明らかに天皇讃美の歌です。1960年代までの日本各地の小中学校で歌わされていたと思います。明治からの「天皇を中心とした軍事国家」という全体主義イメージを浸透させる重要な教育の一環だったのでしょう。「正月のめでたさ」も「日本バンザイ」「天皇万歳」と一体だったわけです。そもそもあちこちで見られた「バンザイ」そのものが天皇崇拝儀式なのに、そう意識させず「マインドコントロール」が再生産され続けたわけです。
偽装された歴史ではない、実態としての天皇制について、平将門の乱一つをとっても、「天皇」が神格化されていた時代はとても短く、明治期から太平洋戦争敗戦までの間だけではなかったかと思うのです。
年末に終了したNHKドラマ「鎌倉殿の13人」に度々登場した、一種のプライドとともに語られる“坂東武者”が心に残りました。坂東武士とは、東国の武家集団を指し、東北や北陸の「蝦夷」と呼ばれた「天皇による支配」に服従しなかった人々のうち、捕囚の民となって関東地域に移住させられた人々が「俘囚」と呼ばれ、やがて彼らが朝廷・天皇という権力からお墨付きを頂き、蝦夷征伐の主力を担うことになったことは、被差別者が差別者に転じる、歴史の暗部を感じます。この「俘囚」のことは小中学校の歴史ではほとんど学びませんでした。
紀元前10世紀頃のエジプトで奴隷状態だったイスラエル人奴隷がいました。もともと土地を所有しない遊牧民であり、アブラハムから始まった一族を導いた神によってのみ自分たちが導かれるという信仰を持っていたイスラエル人は、エジプトの神や権力者に与することはできず、奴隷状態のままだったのでしょう。その彼らの数が増え、反乱を恐れたエジプトの王ファラオが、イスラエル人奴隷から生まれた男子をことごとく処分殺害した事件がありました。そこからモーセは誕生するはずはなかったのに、ファラオの娘の気まぐれによりモーセが生き延びたのは奇跡のような出来事でした。
しかも大人になったモーセが奴隷状態のイスラエル人を庇い、エジプト側の看守を殺害し、殺人者として指名手配されたそのモーセが、のちにイスラエルの民全体をエジプトから脱出させ救出する役割を担うことになったとは、それ自体がもともと“あり得ないこと”だったわけです。
ヘロデ大王による、ベツレヘムやその周辺の、2歳以下の幼児皆殺し事件は、実際にあったことだったのかどうか、これに関する資料や他の証言などは残されていませんが、ベツレヘム周辺で実際に起きた事件だったとしても、噂を聞いて逃げた人々も多く、ヘロデ大王による数々の蛮行に比べれば実際の殺害数は大量でもなく、歴史家たちが注目する大事件ではなかったと思われます。
ヘロデはユダヤ人ではなく、ユダヤの南方のエドム人の子孫で、紀元前にかろうじて独立を保っていたユダヤハスモン朝の支配下で、割礼を施されてユダヤ教に改宗したアラブ人です。ユダヤ教の神殿からは馬鹿にされ、ローマの権力者に取り入ってローマ側の徴税を代行し、かつガリラヤ地方の権力者としても君臨することができ、大王を名乗った男です。コンプレックスの塊のようなヘロデには、信頼できる兵士も親族も仲間もおらず、誰かに王の立場から失脚させられることを恐れていました。10人の妻と多数の子どもがいましたが、義兄弟複数の殺害、義父の殺害、妻の殺害、息子3人の殺害、死の直前まで被害妄想から周辺の7人以上を暗殺するなど、権力にだけしがみついた支離滅裂な人生でした。そんなヘロデの行った暗殺、殺戮などに比べたら、メシア、新たな王の出現を恐れての幼児暗殺はむしろ小さな事件だったと思われます。それでもヘロデによる殺害を免れたこと自体、奇跡的出来事だったと言えます。
暗闇に覆われた世に、神が立ち上がられ、苦しむ人々のしんがりに立たれる、そこで起きる出来事・主のわざは、人間の思慮も想像力も超えているはずです。
2023年を迎えました。希望や新たな光が感じられない時代です。ゴッホも世に対する失望が大きかった人だと思いますが、彼が死ぬ前に、フランスのアルル地方で暮らしていたとき、アルル地方の人々は「ひまわり」を神のみわざ、平和への希望として大事に育てて愛でていたようです。ゴッホもまた「ひまわり」を、永遠の光、ユートピアの象徴として描き続けたと感じます。主なる神が起こしてくださる奇跡を信じ、主イエスを仰ぎつつ歩み出したい。
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