20230115 宣教要旨「傲慢と卑屈の迷路」イザヤ書52章12節 58章6-8節 ヨハネ福音書9章1-3節 担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所

イザヤ書52章 12節
急いで出なくてもよい。逃げるようにして行かなくてもよい。主があなたがたの前を行き イスラエルの神がしんがりとなるからだ。

イザヤ書58章 6〜8節
私が選ぶ断食とは 不正の束縛をほどき、軛の横木の縄を解いて 虐げられた人を自由の身にし 軛の横木をことごとく折ることではないのか。
飢えた人にパンを分け与え 家がなく苦しむ人々を家に招くこと 裸の人を見れば服を着せ 自分の肉親を助けることではないのか。
その時、曙のようにあなたの光は輝き出し あなたの傷は速やかに癒やされる。あなたの義があなたを先導し 主の栄光があなたのしんがりを守る。

ヨハネによる福音書9章 1〜3節
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

宣教要旨「傲慢と卑屈の迷路」

 天の神は最も聖なるお方であり、汚れにまみれた人間は聖なる神に近づかなければ救われない、地獄に堕ちるしかない、というような感覚は古今東西、様々な宗教に見られるものです。ユダヤ教の戒律も「聖なる方に近づく」「汚れから遠ざかる」ための戒律が中心でした。天の聖なる神に近い人々と、神から遠い、汚れた人々という上下、貴賤のイメージは強固な感覚だったと思われます。文明の発生ともに生まれたピラミッドは、そのまま強者・弱者、富んだ者と貧しい者の上下関係、貴賤の社会構造でした。

 神は、人間たちの傲慢さが作り出した貴賤、上下関係を打ち砕き、上下関係のしんがり、最も低いところに立たれる、貧しい者こそ幸いとのメッセージを明確に打ち出したのがイザヤでした。傲慢になってしまう心、卑屈になってしまう心を打ち砕くため、神に作られたいのちの祝福を取り戻すために、受難の救い主が現れる、というのがイザヤ書の最も大きなメッセージと思われます。イエスの公生涯はこの“受難のメシア”を自らに引き受けたのだと理解できます。動植物など自然の生命の中で人間が特別に祝福されているのではないこと(空の鳥を見よ・野の花を見よ)、人間が作り出すしんがりをなくしていくことが最も大切な戒め・律法であることをイエスはしんがりに立ちつつ、神の子としての祝福を取り戻すために働き続けたのでしょう。

 イエスの時代から現代に目を移せば、現代社会の富んだ者と貧しい者のピラミッド構造・上下の格差はさらに激しくなっていると言えます。
 世界では1億人以上が紛争や迫害、暴力などで住む家を追われ、難民や国内避難民として避難を余儀なくされている(2022年、国連難民高等弁務官事務所)。これは世界の人口の約1%に相当し、このうち42%が18歳未満の子どもとのこと。2018年から2020年の間に約100万人の子どもが難民として生まれているという現実は、富んだ国日本に暮らす私たちの日常感覚、実感から遠いものです。
 難民の出身国で多いのは、シリア(670万人)、ベネズエラ(400万人)、アフガニスタン(260万人)、南スーダン(220万人)、ミャンマー(110万人)とのこと。明らかに人間たちの愚かな戦争によって生まれた難民であり、そして今起こっている戦争によって難民の数はさらに増え続けています。

 経済的な豊かさを求め、隣国を敵視し、原発をさらに稼働させ、専守防衛の枠を超えて軍事力を高めようとしている現代日本は、イザヤやイエスが非難した「傲慢」な姿なのでしょう。生まれつき目が見えない、ありのままの人間を、穢れとして、罪の結果として理解しようとする人間の、卑屈の裏返しである傲慢さもイザヤやイエスから責められています。

「神は世のしんがりに立たれる」の厳しいメッセージを、皆さまとともに、ここで聞きたいと願います。

 

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