20230910 東淀川教会礼拝 宣教要旨「口からの言葉は然り然り・否否のみ」出エジプト記20章 マタイ福音書5章33-37節 マタイ福音書15章17-18節

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聖書箇所

出エジプト記20章 7節
あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。

マタイによる福音書5章 33〜37節
「また、あなたがたも聞いているとおり、
昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。誓ったことは主に果たせ』と言われている。(33)
しかし、私は言っておく。一切誓ってはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。(34)
地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。
エルサレムにかけて誓ってはならない。
そこは偉大な王の都である。(35)
また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。(36)
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と
言いなさい。それ以上のことは、悪から
生じるのだ。」(37)

マタイによる福音書15章 17〜18節
口に入るものはみな、腹に入り、外に出されることが分からないのか。(17)
しかし、口から出て来るものは、心から出て来て、これが人を汚すのである。(18)

宣教要旨「口からの言葉は然り然り否否のみ」

 ユダヤ教(ヘブライズム)とは神(万物と生命の創造者)中心の世界であり、ヘレニズムとは古代ギリシャ文化に始まった人間の脳(意識)中心の世界です。イエスの時代、この二つの神観、世界観、人間観がせめぎ合っていたと感じます。万物と生命の創造主という時間を超えた普遍的な「神」について、一部の民族が使って理解している名称で表現(規定)することは傲慢です。が、一方で力の強い、富んでいる民族が他民族の支配を目論んだ場合、自分たちの脳(意識)にある世界観、神を中心としたイデオロギー(観念・宗教)を広めることが最も有効です。
 イエスは徹頭徹尾、万物と全ての生命の親である「神」理解の人だったと思います。「神の前で神に対して誓う」とは、神と契約を交わす、自分自身を神と対等に扱うことであり、傲慢そのものと言えます(誓ってはならない)が、一方で人の自尊感情・プライド、信仰心を高めるものでもあります。
 「始めにことば(観念)があった」から始まるヨハネによる福音書は、神との契約を重視するヘレニズム世界に向けて書かれた福音書でした。
 ヘレニズムは人の思索を深め、哲学・「科学」を生み出しましたが、同時に、神(真理)に近づこうとする「自我肥大」を産み続けました。古代ローマ帝国(パクス・ロマーナ、ローマによる平和)に取り込まれたキリスト教は、“真理は一つ”(アウグスティヌス)、一つの言語、一つの宗教、一人の皇帝、一つの国家(ファシズム)を成立させる重要な役割を果たしました。
 大航海時代にはスペインとポルトガルがカソリックによる世界伝道(統一)を夢見るバチカンと繋がり、植民地支配・収奪(貧しい国作り)を繰り返しました。それが行き詰まると次はロス・チャイルドや英国王室を背景に、巨大企業とともにポンド通貨で広大な植民地を獲得していった大英帝国(明治からの日本が真似しようとして失敗)の時代があり、第二次世界大戦以降は人類史上最大の武力と基軸通貨ドルでパクス・アメリカーナ、最強警察国家を米国は築きました。

 そんな列強のしのぎあい、勢力争いの結果、世界は1/4の豊かな北側先進国の人々と、3/4の貧しい南側の国々の人々に分かれる(犬養道子:人間の大地)。現在はグローバル社会を迎え、資本は流動化し、歴史上最大に膨れ上がった難民問題に象徴される民族紛争、核弾頭などの軍拡競争、軍事・情報独裁国家など、世界の模様は平面的な区分けが困難になり複雑化していますが、背景にある、イデオロギー(言葉)の対立、作り出された貧困問題(南北問題)や、民俗宗教の対立について、正教会、カトリック・プロテスタント問わずキリスト教徒の、「和解」に向けての責任はとても大きいと思います。

 イスラム世界との対立を含め大きな過ちを繰り返してきたキリスト教セクト、キリスト者は、何が過ちであったのかを語り合い、自分たちの過ちを乗り越える「和解」への道を示す責任を神に対して負っていると思うのです。それこそが主イエスに喜ばれる道であり、次のグローバル時代、チャットGPT(人工知能)に象徴されるネット上の“パクス・ロマーナ”にどう向き合っていけばいいのかを考える大切な手がかりになると思うのです。

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