20231126 東淀川教会 礼拝宣教要旨「戦争とは何か」サムエル記下11章1節 マルコ福音書3章23−29節
本日の聖書箇所
サムエル記下11章 01節
年が改まり、王たちが出陣する季節になった。ダビデは、ヨアブに自分の家臣を付けて、イスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を皆殺しにし、ラバを包囲した。この時ダビデはエルサレムにとどまっていた。
マルコによる福音書3章 23-29節
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
国が内輪で争えば、その国は立ち行かない。
また、家が内輪で争えば、その家は立ち行かない。
もしサタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
また、まず強い人を縛り上げなければ、誰も、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
よく言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。
しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠の罪に定められる。」
宣教要旨「戦争とは何か」
旧約聖書における理想的な王と呼ばれ、次の救世主はダビデの血統・末裔から生まれるはず、と言われたダビデ王が、アンモン人の「皆殺し」を命じた箇所です。 アンモン人とは、アブラハムの一族でイスラエルの人々にとって遠い血縁でした。これは“近い者ほど激しく争う”、内ゲバにも見られる「近親憎悪」に由来する攻撃の仕方です。
本日のマルコ福音書の箇所は、神殿側から派遣されてきた人々が「イエスたちが病人に取り憑いているサタンを追い出せるのは、同じサタンの仲間だからだ」と言いふらし、彼等はイエスたちへの攻撃を強め、イエスの逮捕を狙っている、いわば“戦闘態勢”だったわけです。
それに対して、“サタンがサタンを老いだしたらサタン側は自滅してしまうだろう”と冗談っぽく切り返していますが、それに続く「強盗」の「話」は、あちら側の戦闘態勢、戦争についてのコメントだと思います。「わたしをサタンのリーダーだというのなら、わたし一人を捕まえて、ここにいる人たちのすべてを奪ったらどう?」と言い返していると感じるのです。
福音書にはイエスの戦争についてのコメントはありません。イスラエル12部族は今日でいうところのパレスチナに後から入植した人々です。先住民が入植を認めず争いになり勝利した場合は、土地の強奪、財産の強奪、奴隷などの人間の強奪はあっても「皆殺し」は基本的にしないわけです。先に多勢や大きな軍事力で攻め込み、指導者を捕らえるのは、土地を奪うなどの強盗目的を達するためです。北イスラエルも南ユダ国もそのようにして国をおおきくしていたわけです。それは単に「泥棒」であり、泥棒ごっこみたいなものだとイエスは語っていると思われます。
しかし“皆殺し”が行われたり、非戦闘員である肉親や愛する人たちを殺され、生き延びてそのトラウマから復讐を誓った者にとっては、侵略者はサタンであり、サタン(悪鬼)を滅ぼすための“正義の戦争” “聖戦”と化してしまい、また“復讐を誓う戦士”を更に産み続けることになります。
今日の世界の紛争地域で10再前後から18歳未満の子どもたち(25万人とのデータがあります)が兵士に志願する理由もまた“復讐”が主な動機でしょう。兵士となったら理性も人間性も捨てて「殺人兵器の部品」になるしか道はありません。内部の意見対立も許されません。上の指揮に従い、あとは「先に殺るか殺られるか」だけです。
その後のイエスのメッセージ「人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠の罪に定められる。」は唐突な言葉に感じますが、戦争、争いについてイエスが語っていると感じるのです。すなわち、争いや戦いの相手も同じ神からいのちを与えられている神の子・人間なのだと。喧嘩したり泥棒したり決闘することもあるだろうと。しかし相手を人間とは認めず「あれは神がいのちを吹きこんだ人間ではなく悪魔たちだから殺すことは正しい」とするならば、神(聖霊)を冒涜することであり、神は決して赦さない、と語っていると思われます。
紅白に分かれて戦う運動会でも血が騒ぎます。多くのスポーツがそうであるように、ルールに基づいた争い、勝負事は楽しいものです。 憎しみや怒りを伴うケンカも起こります。西洋であれ東洋であれ、決闘という殺し合いもありました。ただし、正々堂々と行われなければならない、というルールが前提でした。
相撲の始まりは、命がけの決闘にしないためのルールの一つとしてがっぷり四つに組み、倒されたり輪から出た方が負け、というのが相撲(双方の殴り合い 撲殺の“撲”)という漢字の起源だと学びました。
ダビデも犯した犯罪「皆殺し」は相手を人間扱いしていない、神(聖霊)を冒涜する行為です。広島・長崎に落とされた原爆も、今日軍事国家がちらつかせている核弾頭ミサイルもまた「皆殺し」の道具です。
現在、与那国島・宮古島・奄美大島・石垣島を中心に自衛隊の南西シフトと軍事訓練(オスプレイ、スキャンイーグル、パラシュート落下)が進められています。有事の際の先島諸島12万人を九州へ避難させるための訓練も予定されているとのこと。
2010年の沖縄本島、普天間基地移設反対運動は大きな反対運動が起こりました。が、現在の軍事基地化はそれぞれの島に分散しており、運動として結束しにくく、“米軍ではなく日本軍なら仕方ない”、“荒らされる田畑に保証金というボーナスが出る”と諦め顔が多いとの新聞報道がありました。沖縄が「本土」防衛のための盾、捨て石として利用された過去がまた繰り返されているような感触を沖縄のおじい、おばあたちは感じつつも、なのでしょう。
人を非人間化する「戦争」を起こさせないための、神の子たちの「知恵」がいまこそ求められていると思うのです。
☆皆殺し アナテマ(ανάθεμα, anathema)は、「聖絶」「奉納」「滅ぼす」「捧げる」「殺す」「呪われる」「呪われたものとなる」などと訳されるギリシア語の言葉。 聖書で、ヘブライ語「ヘーレム herem」の訳として七十人訳聖書から使われた。 アナフェマとも。(wikiより)