20240107 東淀川教会新年礼拝 宣教要旨「国が作るヘイト」イザヤ書6章1-13節 マルコ福音書1章21−28節

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本日の聖書箇所

イザヤ書6章1−13節
ウジヤ王が死んだ年、私は、高く上げられた玉座に主が座っておられるのを見た。その衣の裾は聖所を満たしていた。 (1)
上の方にはセラフィムが控えていて、それぞれ六つの翼を持ち、二つの翼で顔を覆い、二つの翼で足を覆い、二つの翼で飛んでいた。 (2)
そして互いに呼び交わして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな 万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」 (3)
その呼びかける声によって敷居の基が揺れ動き、神殿は煙で満ちた。 (4)
私は言った。「ああ、災いだ。私は汚れた唇の者 私は汚れた唇の民の中に住んでいる者。しかも、私の目は 王である万軍の主を見てしまったのだ。」 (5)
すると、セラフィムの一人が私のところに飛んで来た。その手には祭壇の上から火箸で取った炭火があった。 (6)
彼はそれを私の口に触れさせ、言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので  過ちは取り去られ、罪は覆われた。」 (7)
その時、私は主の声を聞いた。「誰を遣わそうか。誰が私たちのために行ってくれるだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」 (8)
主は言われた。「行って、この民に語りなさい。『よく聞け、しかし、悟ってはならない。よく見よ、しかし、理解してはならない』と。 (9)
この民の心を鈍くし 耳を遠くし、目を閉ざしなさい。目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず 立ち帰って癒やされることのないように。」 (10)
私は言った。「主よ、いつまでですか。」 主は言われた。「町が荒れ果て、住む者がいなくなり 家には人が絶え その土地が荒れ果てて崩れ去る時まで。」 (11)
主は人を遠くに移し 見捨てられた所がその地に増える。 (12)
その中の十分の一は残るが これも荒れるに任せられる。 切り倒されても切り株が残る テレビンの木や樫の木のように 聖なる子孫が切り株となって残る。(13)

マルコ福音書1章21−28節
一行はカファルナウムに着いた。そして安息日にすぐ、イエスは会堂に入って教えられた。 (21)
人々はその教えに驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者のようにお教えになったからである。 (22)
するとすぐに、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 (23)
「ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 (24)
イエスが、「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、 (25)
汚れた霊はその男に痙攣を起こさせ、大声を上げて出て行った。 (26)
人々は皆驚いて、論じ合った。「これは一体何事だ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聞く。」 (27)
こうして、イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。 (28)

 

宣教要旨「国が作るヘイト」

カファルナウムの会堂で叫び出した男とは誰か。
「我々を滅ぼしに来たのか。正体はわかっている。神の聖者だ」の
「神の聖者」とはギリシャ語でアギオス、聖なる者の意味。
「我々を滅ぼしにきた神の聖者」とは、イザヤ書6章の「セラフィム」を指していると思われます。
“イスラエル民族こそ神に選ばれた聖なる民”であり、“イスラエル民族が周辺諸民族を支配するのが当然であり神が戦いの先頭に立って勝利をもたらしてくださる”という、「傲慢の罪」に陥っている民に、イザヤの口を通して語られた厳しい神の言葉。
アッシリアの神話「セラフィム」 3対6つの羽根の姿。 頭や顔を覆う羽根は、イスラエル民族の、首から上の目や耳や思考が覆い隠されていることを示し、両脚を覆う羽根はイスラエルの活動を戒める羽根なのでしょう。 

「この民に語りなさい。決して悟ることはない 決して理解しない 悔い改めて癒されることもない」 滅ぼされるしかない。が最後に十分の1は残る、というイスラエルへの厳しい裁きを告げるイザヤ書は、北イスラエルであれ、南ユダ国であれ、王たちや、王とともに神殿を支配してる人々にとって、聞きたくはない、無視したい預言の書だったに違いありません。

 イザヤ書を開いて、イスラエルへの神の裁きを語るイエスに対し、叫んだ「汚れた霊に取り憑かれた男」とは、イエスやイエスたちの行動を監視していた、国側の秩序を守ろうとする人々の一人だったのでしょう。彼が叫んだ「我々を滅ぼしに来たのか!」とは、イザヤ書6章の「イスラエルに対する神の裁き」を知っている、熱狂的なイスラエル民族主義者のグループの一人であり、今日の言葉で言えば、「あんたらは国賊であり、律法に反している反逆者だ!」みたいな、イエスに対するヘイトスピーチを行なったと思います。

 裁判所の定義(大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例)
人種・民族・個人集団(特定人)を社会より排除しようとする運動
特定人への憎悪、差別意識、暴力、侮蔑、誹謗中傷を煽る言動や運動
(2022年判決)

 「ヘイトスピーチ」はイエスの時代も、今日の日本も同じだと思います。かつては多くの文化をアジア諸国から学び、尊敬の対象だったのに、明治以降の軍事国家・軍事体制によって、ひっくり返った。近隣諸外国に対する日本国の優越意識と、その裏返しとしての軽視・蔑視が、戦争によって国民に植え付けられたと思います。
 従軍慰安婦問題で新聞の記事がいいかげんであり自虐史観を広めるもの、と新聞社が攻撃されたことがありました。従軍慰安婦問題を教科書に記載することの是非が絡んで、何が事実であったのか、という議論よりも、“攻撃のための攻撃”が行われたと思います。 戦争そのものが国家レベルの熱狂と狂気を生み出します。慰安婦問題もその一部です。かつての隣人へのリスペクト、尊敬が、戦争や戦時体制によってひっくり返ってしまい、軽視や蔑視が、根本的な反省もなされないまま、今も残ったままです。

 2024年1月1日からの能登半島沖、大きなプレートの断層帯から起こった大地震、死者126人に 安否不明210人とのニュース。7日現在でも安否確認できない状況とはなんなのか。イザヤの「聞け、しかし悟るな。見よ、しかし理解するな」の言葉が、私たち一人ひとりに向けられた神の言葉として胸に響きます。

 

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