20240317 東淀川教会受難節第5主日礼拝 宣教要旨「王様は(みっともない)裸じゃないか」マタイ福音書5章27−32節
聖書箇所
マタイ福音書5章 27-32節
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 (27節)
しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。 (28節)
右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。(29節)
右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに落ちないほうがましである。」 (30節)
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と言われている。 (31節)しかし、私は言っておく。淫らな行い以外の理由で妻を離縁する者は誰でも、その女に姦淫の罪を犯させることになる。離縁された女と結婚する者も、姦淫の罪を犯すことになる。」(32節)
宣教要旨「王様は(みっともない)裸じゃないか」
イスラエルでもっとも理想的な王であり信仰の模範はダビデでした(メシアはダビデの末裔から生まれるという伝承の起点)。実際は王権を握ると人口調査とともに徴兵制を敷き、強い軍事国家を築きました(今日のイスラエル・シオニズム問題?)。部下の妻(バト・シェバ)を奪い(籠絡され)、夫である部下(ウリア)を戦場で死なせた。バト・シェバから生まれた次の王ソロモンが兄弟姉妹の権力争いを勝ち抜き王位に就き、領土を広げ、経済発展と神殿を中止とした栄華を誇った。ソロモンの死後、その子どもたちも権力争いに明け暮れ、民族の分裂と亡国を招いた。
イエスが生まれた頃は、ローマ帝国の間接支配のもと、ユダヤの王様はヘロデ大王(十人の妻と多数の子どもで大奥を築いた)で、ローマ帝国の手先としてイスラエルのローマ化、従属国化を計った。その後息子ヘロデ・アンティパスがガリラヤ地方の領主であったとき、兄弟の妻ヘロディアを奪って自分の妻としたために、バプテスマのヨハネから批判され、ヨハネを牢獄にいれた。その後、妻へロディアと娘サロメの計略でヨハネを処刑した。ヘロデ親子は神殿建築で人々の人気を得ようとしたが、神への信仰はなかった。マタイのような取税人たちを使ってローマと自分達への税金(みかじめ料ショバ代)を取り立てていた。人々は神殿税と取税人が取り立てる税金の両方に苦しんでいた。外交や政治に関することはローマ(江戸幕府?)の間接支配のもと、神殿とヘロデ大王の息子たちに四分割された領主(藩主?)たちとの合議で行われていた。社会の諸関係法、民法、社会倫理、何が悪であり何が罪か、などの規則や判断については、神殿政治に丸投げされていた。律法で人々を縛りながら、人頭税や神殿税を取り立てることが第一義で、律法を神殿支配者やヘロデ領主や役人たちや軍人に適応することはなかった。その状況下でイエスの言葉を、支配者たちに投げつける言葉として、再度聞き直したい。(支配者たちは自分達のみっともない堕落した裸をさらけ出しているではないか!)
ローマ帝国とヘロデの息子たち領主と神殿政治の関係は、戦後の米国の世界戦略、属国としての敗戦国日本との関係によく似ていると感じます。主権を持たない傀儡政権の政治家たちは必然的に堕落し、民衆への責任を放棄し、自分たちとセクトの維持と富の蓄積に奔走する。今日の日米合同委員会問題、保守政党議員のパーティティ集金、キックバックの問題もよく似ていると思います。
先週の出来事
ネットのニュースやテレビや新聞などで「戦争」のニュースがどんどん流れ込んできます。キリスト者でもクリスチャンでも、わたしのようなイエスチャンでも隠れキリシタンであっても、“聖書に親しんだだけ”の人であったとしても、特にイスラエルとパレスチナの戦闘状態のニュースはこころが•(多少なりとも)痛むと思います。1993年8月ノルウェーで開かれたオスロ会議でイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長との間で停戦の合意がなされ、9月にもホワイトハウスで、米国クリントン大統領の仲介のもと、話し合いのための「停戦」が世界に向けて表明されました。希望の火が灯ったはずでした。が、1995年11月にラビン首相がイスラエルの若者による銃弾で死亡したとき、「絶望」の輪が広がりました。現在のイスラエルのネタニヤフ首相と、あのときラビン首相を射殺した若者の姿が重なってしまいます。「やつらだけは決して許せない」… ここを乗り越える道を、神の声を聴こうとしている人々、神を畏れる人々、わたしたちは見いだせないのでしょうか。「祈りましょう」でごまかし続けるわけにはいきません。