20240519 東淀川教会礼拝宣教要旨「ことばはいらない」司徒言行録2章1-13節
聖書箇所
使徒言行録 2章 1-13節
五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、(1)
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。(2)
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 (3)
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。 (4)
さて、エルサレムには天下のあらゆる国出身の信仰のあつい人々が住んでいたが、 (5)
この物音に大勢の人が集まって来た。そして、誰もが、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられた。 (6)
人々は驚き怪しんで言った。「見ろ、話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 (7)
どうして、それぞれが生まれ故郷の言葉を聞くのだろうか。 (8)
私たちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 (9)
フリギア、パンフィリア、エジプト、リビアのキレネ側の地方に住む者もいる。また、滞在中のローマ人、 (10)
ユダヤ人や改宗者、クレタ人やアラビア人もいるのに、彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 (11)
人々は皆驚き、戸惑い、「一体、これはどういうことなのか」と互いに言った。 (12)
しかし、「あの人たちは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者もいた。(13)
宣教要旨 「言葉はいらない」
地名の解説
パルティア、メディア、エラム(イラン高原 イラン系遊牧民)
メソポタミア、ユダヤ(アブラム、イスラエルの民の記憶)
ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、(トルコ周辺遊牧民)
エジプト、リビア、キレネ、(エジプト周辺遊牧民)
リビア、キレネ (アフリカ北部)
ローマ、クレタ (ギリシャ周辺)
アラビア(アラビア半島遊牧民)
5旬祭の解説
ユダヤ教 ペサハ 過越の祭り 出エジプト記念 4月頃
5旬祭 ジャブオット モーセが十戒を授かった記念 5月頃 →キリスト教会の聖霊降臨ペンテコステへ
西暦紀元30〜40年頃ローマ帝国が地中海世界を統一。ラテン語が主流になりつつあった。交通の要所であるパレスチナ エルサレム周辺に、ローマ帝国や各地の軍事国家から逃れた難民たちが行き来していたと思われます。
イエスの神の国メッセージは現実の国家を超えていた。アブラハムの子孫という民族性も超えていた。神が普遍的な個人(神の子)に語りかけるような内容であったため、多くの人々が伝承されたイエスのメッセージ、神の国を求めて集うようになった。ユダヤ教を超えた、国も民族も言語も超えた神から個々人へのメッセージとして人々に受け入れられていった。それが原始キリスト教会の始まりなのでしょう。
遊牧民はもともと言葉を書き記さず、世界各地を絵や身振り手振りで会話することに長けていた人々。民族性や言語の違いなどを乗り越えることは容易い人々であったと思われます。国を追われた“難民”もです。
初期のキリスト教会では、ペテロを中心とした、ユダヤ教の習慣を残すヘブライ語・アラム語派と、ステファノを中心としたギリシャ語、ラテン語を話すヘレニストたち二大勢力があったようです。ユダヤ人ヘレニストであったステファノがユダヤ教神殿側の因習、律法主義を激しく非難したため、石打ちの刑で殺害され、ヘレニストグループはパレスチナから追われ、小アジア、ギリシャ、地中海沿岸に広がっていきました。イエスたちの活動とメッセージはステファノに革命的な変革を促したのでしょう。また、数多の“ステファノ”が生まれていたのでしょう。
ヘブライ、旧ユダヤ教側には「イエスこそ神の子」の認識や感覚が強く、ヘレニスト側には「すべての人が神の子」の認識や感覚が強く芽生えていたと思います。
民族宗教性、言語・観念による理解の差、国家との関係などを超えたところに万人にとっての福音があることを示したのがペンテコステのできごとであり、ユダヤ教の5旬祭(ジャブオット)に代わる、イエスに始まる福音の内実が示された出来事として人々の心に刻まれました。が、それでも律法や割礼の習慣など、伝承や文化伝統に基づいた事柄でヘブライズムとヘレニストとの感覚のズレ、論争は続いたようです。
使徒言行録2章に描かれた聖霊降臨の出来事の本質は、「イエス・キリストのできごととメッセージは、それぞれの言語・宗教的な概念・民族的な理解、宗教理解など、人間固有の様々な“意識”を超えて、だれにでも伝わる、こどもにでも伝わる普遍的なものであること」を証言していると思われます。