20240526 東淀川教会礼拝宣教要旨 ゾロアスター教の影響」ヨハネの黙示録20章7-15節
聖書箇所 日本聖書協会訳
ヨハネの黙示録20章 7-15節
千年が終わると、サタンは牢獄から解き放たれ、(7)
地の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。
その数は海の砂のように多い。(8)
彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都を囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。(9)
そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者もいる。そして、
この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。(10)
また私は、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方を見た。天も地も、その前から逃げて行き、
見えなくなった。(11)
また私は、死者が、大きな者も小さな者も玉座の前に立っているのを見た。数々の巻物が開かれ、また、
もう一つの巻物、すなわち命の書が開かれた。これらの巻物に記されていることに基づき、死者たちはその
行いに応じて裁かれた。(12)
海は、その中にいた死者を吐き出し、死と陰府も、その中にいた死者を吐き出した。死者はおのおの、
その行いに応じて裁かれた。(13)
死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。(14)
命の書に名が記されていない者は、火の池に投げ込まれた。(15)
宣教要旨「ゾロアスター教の影響」
遊牧民イスラエル(神とともに歩む民)の、元来の信仰には「サタン・悪魔」の概念はなかった。そもそも天地創造物語では悪魔、サタンは造られていない。
イスラエルが戦争に敗れ「バビロンの捕囚」で長期間の苦汁をなめた後、にっくきバビロニアを滅ぼしたアケネメス朝ペルシャのキュロス王によって帰還が許された。バビロンを憎み、ペルシャを解放者として讃美したイスラエルの民は、エルサレムに帰還した後、国家・民族を基礎とした選民思想を強めていったが、影響を受けたペルシャの宗教がゾロアスター教であり、ゾロアスター教の光・善(アフラ・マズダ)と闇・悪(アンラ・マンユ)・(アーリマン)の二元論(永遠の対立)、(神)と(サタン)との対立物語、「最後の審判」「救世主出現」「死者の復活」「人は天上と地獄のどちらかに分けられる」物語などが聖書に持ち込まれた(黙示録に顕著)わけです。
ゴグとマゴグは「神」に対抗する勢力であり、あるいは、悪魔によって分断され対立する二つの勢力の象徴であり、いつの世も殺し合い、戦争が終わらないことの説明でもあるのでしょう。
歴史は唯一絶対の一人の神が世界を導いている結果であるという説明よりも、歴史は神と悪魔の永遠の対立である、という二元論的ビジョンのほうが子どもの心に浸透しやすい、腑に落ちるビジョンと言えます。
今日の米国のキリスト教の中で大きな勢力を持っている「福音派」に、ゾロアスター教は今も大きな影響を与え続けている、とも言えます。
ゾロアスター教はインド地方、原始仏教に取り込まれ、サンスクリット語ヴァイロ-チャナ,仏教・密教の毘盧遮那仏・大日如来となり、日本奈良東大寺大仏として建立された。弥勒菩薩は救世主・メシアに該当するのでしょう。ゾロアスター教はユダヤ教にもキリスト教にも仏教にも大きな影響を与えたことになる。
この終末論、善悪二元論は、キリスト教の神学、選民論、使徒信条にも大きな影響を及ぼしている。
使徒信条はキリスト教世界でお経のように唱えられている「ビジョン・イメージ」です。
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。」
ここに終末・善悪・「生ける者・死ねる者」というゾロアスター教の時代から続いている二元的世界観がある。
ゾロアスター教の神話につながり、西欧で組み立てられたキリスト教神学、倫理、イデオロギー、新たな神話などの膨大かつ遠大な森の中から、ナザレのイエスの神理解、世界理解、神の国宣教、メッセージ、そのわざを拾い出し続けたい。