20240728 東淀川教会礼拝宣教要旨「逃げよう。生きよう」詩篇8編2ー7節 マタイ福音書10章22-23節 マルコ福音書13章14節

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本日の聖書箇所

:詩編8編2−7節 
主よ、我らの主よ 御名は全地でいかに力強いことか。あなたは天上の威厳をこの地上に置き(2)
幼子と乳飲み子の口によって砦を築かれた。敵対する者に備え 敵と報復する者を鎮めるために。(3)
あなたの指の業である天を あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。(4)
人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。人の子とは何者なのか、あなたが顧みるとは。(5)
あなたは人間を、神に僅かに劣る者とされ 栄光と誉れの冠を授け(6)
御手の業を治めさせ あらゆるものをその足元に置かれた。(7)

マタイによる福音書10章 22-23節
また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(22)
一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。(23)

マルコによる福音書 13章 14節
「荒廃をもたらす憎むべきものが、立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

 

宣教要旨「逃げよう。生きよう。」

詩篇には、イエスが活動していた時代より遙か以前の、イスラエル民族が神とともに自由に移動していた「遊牧の時代」の素朴な信仰が多く残されており、イエスもそれを継承していたと思います。
詩篇8篇の“砦”とは、争うための砦ではなく、神による、神の子たちを守る、人の目には見えないバリアーのような“砦”でしょう。

「砦は幼子と乳飲み子(神の子)の言葉に応えて、敵対する者や報復する者を鎮めるために神が設けられたもの。幼子こそ神の御姿に近く神が守られる人。人よ。幼子(神の子)であることから離れてはならない。大人になってはならない」との、神からのメッセージです。イエスの「幼子のようでなければ神の国にはいることはできない」と同じメッセージです。 イスラエルの民はパレスチナ、カナンの地に入植したのちに、王や強い国家を求め、軍事力や経済力によって「強く賢い大人」になってしまい、子どもであることを捨ててしまった。本来の「神の子」概念は、傲慢な選民思想に取って代わり、他の周辺民族を異邦人として見下す愚かな“大人”になりさがってしまった。こんなイスラエルを神はまだ見捨てず心に留めてくださっている、という告白のようなメッセージがこの詩篇に込められています。

マタイ10章22-23節やマルコ13章14節から響いてくるのは、「神の子」を取り戻すなら、他の人々から憎まれても迫害されても報復してはならない。戦ってはならない。最後まで耐え忍びなさい。やむを得ないときは山に逃げなさい。逃げ続け、堪え続ければ、必ず助けてくれる「人の子」が現れる、というメッセージです。

「荒廃をもたらす、憎しみや報復を生み出す者、戦いを呼びかける者、対等に話し合うことが不可能な「幼子のこころを失っている者」が、多くの人々に影響を与える地位・ポジションに現れたら」ひたすら扶け合って逃げなさい、とのメッセージが感じられます(つい、トランプ大統領の顔を思い浮かべてしまいますが、大統領候補の問題ではなく、そういった強い指導者を求める人々の側の問題なのでしょう)。

 旧約聖書の民数記35:9-14や申命記4:41ー42には“ヨルダン川の東に3つ、西に3つの逃れの町を作れ”との、モーセが命じた規定が記されています。モーセが入植していく12部族を送り出すにあたって、バラバラの地域を指定したのも、闘わず争わず他民族と共存させるためであり、それでも争いが避けられないときには殺し合いを避けて、そこに逃げ込むことの出来る“逃れの町”を予め設けるためだったのでしょう。が、モーセの意図は、“約束の地に自分たちの国をつくりたい” “やられたらやり返せ”とばかりの血気盛んなイスラエル民族のまえに、指導者としての立場を降りたのだろう、だから一緒に入植しなかったのだろうと感じています。

 モーセが神から与えられた十戒のうち、最も重要な戒めは“殺すな”です。たとえ仲間や家族を殺されても報復してはならないのです。
 いのちは神のもの。自分のいのちも自分で破棄・処分してよいものではない。自殺することは神から与っているいのちを殺すことです。自殺を「罪」と感じる感覚はそこに由来しています。

行政の白書によれば、 2022年の自殺者数は前年比874人(4・2%)増の2万1881人で、2年ぶりの増加。小中高生の自殺は近年300件前後だったが514人で過去最多となった。小中高大学生から20歳代における死亡原因の一位は病気や事故死を超えて自殺。全都道府県でみると東京大阪名古屋福岡の都市圏がダントツで多い、とのこと。
 
 米国の民主党・共和党大統領候補の演説でも、自国の経済的豊かさと平均収入のアップににどれほど貢献してきたかをどちらもPRしていました。日本国内でも貧困家庭の救済、高校生までの学費無償化等をテーマにする政治家も多い。が、こどもたちが感じている生きづらさは貧困が主な原因でしょうか。子どもや若者の自殺を都道府県別にみると、東京、大阪、名古屋、福岡など、地方都市が圧倒的に多い。

私自身、これまで出会ったこどもたちや若者を通じて感じるのは、主に都市生活における“閉塞感”と、今生きている場所から外れることの出来ない “逃げ場のなさ” が強く感じられます。今日残された“逃れの町”は、不便な(未開発の、自然が多く残されている)過疎地にしかないのでは、などと考えます。

 イエスの「逃げなさい」のメッセージをこどもたちや若者と共有し、逃げ場や「逃れの町」を共に探し求めることが、教会に求められている課題だと感じています。

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