20240804 東淀川教会礼拝宣教要旨「イエスとユダの密約?」ユダ福音書
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ユダ福音書(意訳)
(タイトル)「過越祭の三日前、八日の間にイエスがイスカリオテのユダに語った、神の裁きについての秘密の言葉」
(第一章)イエスは救いを求める人々のためにしるしと大いなるわざを行った。イエスを信じともに歩もうとする仲間たちが現れ、活動が大きくなるとともに、反対する者も現れ増えていった。イエスは主な十二人の仲間たちに、この活動の旅がたどり着く最後には、イエスは反対する人々に捕えられ殺されるだろうと語り始めた。イエスは仲間たちの目に、りっぱな指導者として映らず、まるで大きな子どものように映った。
(第二章)仲間たちが手を洗い神を賛美し、聖なる食事の儀式と祈りをしているところにイエスが来て、それを見て手も洗わず食べながら笑った。仲間たちは「あなたは人々を導く救世主、指導者と期待されているのですよ」と怒り出した。イエスは彼らに「神は十二部族とだけ契約した神でもなければ、服従する人々と取り引きされる神でもない。神について説明できる者がいればわたしの前に立ちなさい。」誰もイエスに答えられなかった。ユダはイエスに「あなたは天の、神の国からこられた方です」と答えた。あとでイエスはユダに「いつかあなたに天の国について語りましょう」と言った。
宣教要旨「イエスとユダの密約?」
ユダの福音書を取り上げるのは、ナザレのイエス像により迫りたいためです。
。※「ユダの福音書」1970年代にエジプトの洞窟で発見されたパピルス冊子、コプト語写本の断片の解析が進められ翻訳された書。
「ユダ福音書」は初期の、「イエスこそメシア・救世主キリスト」という教義を中心とするキリスト諸教会が始まった頃にはすでにあったけれど、認めることの出来ない異端の書として排斥された、或いは燃やされたりしたのでしょう。マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書などは、イエスの十字架から四十年以上経って書き記されたようですが、ユダはイエスたちにとってもキリスト教会にとっても許すことの出来ない大罪人、という既定ストーリー等が定まってから書かれたのでしょう。ただ、既定ストーリーで覆いきれなかったものが、ヨハネ福音書13章27−30節の「しようとしていることを今すぐするがよい」とのイエスのメッセージとして残されたのでしょう。
1章2章で描かれているイエスは、選民意識から抜けきれず、律法にしたがって身を清めより神に近づこうとする仲間たちの「おとな」の姿を笑っている、子どものようなイエスの姿です。また、イエスを新たな王、指導者として集まってくる人々の期待や仲間たちの期待を笑い否定するイエスの姿が描かれています。
「子どものようなイエス像」は、「立派なおとなではなく、幼子、子どもこそ神の国に招かれている」というイエスのメッセージや、神をアッバと呼ぶイエスの姿と重なります。
「神の民」という選民意識や、イエスに対する「新たな王」の期待を捨てきれない仲間たちの中で、ユダはイエスの活動と、捕まって殺されるというイエスの言葉について冷静に考えていた姿が描かれています。
やがて、イエスが捕まり、イエスたちを敵視する者たちによって殺されることの意味、神の計画がユダに明かされます。私利私欲のためにイエスを敵側である彼等に売り渡した許されざる裏切り者、仲間たちからも呪われ、キリスト教会からもずっと呪われるような役割をイエスから依頼され引き受けることになったユダの苦しみも3章以降で描かれます。
「ユダ福音書」から私たちが新たなイエス像を発見できれば、“家づくりたちが捨てた石が隅の親石となる”が実現するのでは、と期待しています。
来週は3章以降に触れたいと思います。