20241020 東淀川教会礼拝宣教要旨 ユダの福音書13章 イエスに対する陰謀 (意訳)

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1節
祭司長たちはぶつぶつ呟いていた。

イエスが居たのは、イエスの祈りの宿だったからである。

何人かの律法学者たちも祭司長たちとともにイエスを見張っていた。

イエスを逃がさないように捉えるためだった。

しかしイエスは人々に預言者と見做されていたため、簡単に手出しはできなかった。

そこでユダの所に行き、イエスを自分たちに引き渡すよう、促した。ユダは彼等から金を受け取り、イエスを彼等に引き渡した。

宣教要旨 ユダの福音書13章「最後の砦」

ユダの福音書の最終章が13章であることに、この福音書の記者は特別な意味を込めているようです。十二は一つのまとまり、一つの期間を表します。時計が12時で一回りなのも、一年が12ヶ月なのも、一ダースという単位が生まれたのも、天空の動きや自然の摂理から人間が学んだ聖なる数だったからでしょう。
ユダの福音書の中でイエスがユダに語る言葉に「あなたは十二の時(古い時代)が終わるとき、十三番目の新たな時(新たな時代)を導く者となる」にも、十二という数字の意味が表現されています。。

 「イエスの祈りの家」とは、イエスたちの活動に共鳴した人々によって維持された場所だと思われます。イエスたちの活動に共鳴した人々にとってそこは「祈りの家」でもあり、攻撃する者たちから逃れて扶けを求める人の「逃れの家」であり、孤立した人の祈りと重荷を分かち合う「分かち合いの家」であり、傷の回復を図る「癒やしの家」であり、イエスたちの活動が過ぎ去ったあとも各地につくられたと思われます。

 神殿を代表する祭司長や律法学者たちにはイエスを逮捕する正当な理由もなく、逮捕するためにはこの「家」と、「家」を守ろうとする人々からイエスを引き離し、拉致し、神殿の権威を代表する人々の中で「有罪」を宣告する必要があった。それをさせまいとする人々がイエスを守っていた。無理に強行すれば暴動・反乱が予測された。
 イエスは人々から“エリアやイザヤのような”預言者と見做されていた、とは、イエスとともに活動していた仲間たちの多くも、そしてユダの福音書の著者自身もイエスをそのように見做していたことを示している。

 暴動、反乱、戦争へと流血が拡大することを防ぐためにはユダの役割は不可欠だった。集団から信頼され活動資金や経費を管理していたユダがイエスを呼び出し、仲間を裏切り、イエスを神殿の祭司長にお金で売り渡すことによって、神にも仲間にも見放された最も惨めなイエス、というシナリオを実現するには、イエスの復活を信じていたユダにしかなしえない役割だったと思われます。
 最後の13章はたった一節ですが、イエスがユダの助けによっていかに自分以外の逮捕者を出さず、流血を防ぎ、迫害する者たちの力を弱め、復活したイエスとともに歩む仲間への呼びかけが秘められていると思われます。

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