20241215 待降節 第三主日礼拝 アドベント 宣教要旨「赦しと許し」
本日の聖書箇所
マタイによる福音書6章 14〜15節
もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
マタイによる福音書7章 1節
「人を裁くな。裁かれないためである。
マタイによる福音書12章 12節
人間は羊よりはるかに優れた者ではないか。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
マタイによる福音書18章 35節
あなたがたもそれぞれ、心からきょうだいを赦さないなら、天の私の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
コリントの信徒への手紙一 11章 8〜9節
なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのであり、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
マタイによる福音書 19章 04節
イエスはお答えになった。「あなたがたは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
宣教要旨 「赦しと許し」
聖書における「許し」は、禁じられていること、それが悪であることを前提に「許し」が用いられています。
「赦し」は、悪を帳消しすることではなく、それが悪であるとか、罪であるとかを判断したり非難しない、責めない、の意味で用いられています。
イエスの「裁くな」の語りかけは、強者が弱者に対して、多数派が少数派に対して、「神」や律法を利用し善悪を決めつける、上から下に向かって罪を定める、贖罪や身を清めるための捧げ物を求めるなど、人を裁くことで社会秩序を保とうとする愚かさや過ちを語っていると思われます。
人の子は安息日の主である、というイエスのメッセージ(マルコ福音書2章28節)も、法は人のためにあり、法のために人があるのではないという、人の子はすべてもっとも尊い神の子、というイエスの律法理解が現れています。
パウロの「女は男のために造られた」というトンデモメッセージは、 イエスの十字架処刑、イエスの復活証言の後キリスト教が誕生し、新たな“愛”を核とする律法が生み出され、集団の秩序・社会秩序が生み出されていったのですが、最初にパウロによって規定されたのが武力によって版図を拡張していたローマ帝国の男尊女卑的秩序に合わせた男女理解であり、初期キリスト教組織を守るためのメッセージだったと思われます。
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