20241222 待降節第四主日 クリスマス礼拝 宣教要旨「闇を照らす灯火」

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本日の聖書箇所 
ルカによる福音書2章1〜7節

その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。人々は皆、登録するために、それぞれ自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。

宣教要旨
2024年降誕祭「闇を照らす灯火(ともしび)」

 マリアとヨセフがベツレヘムに行ったのは、ローマ皇帝の指示でシリア総督のクレニオが住民登録を命令したためでした。イスラエル民族(神とともに歩む民)は元来遊牧民であり、いずれかの国に所属し国民となる民ではありませんでした(国籍は天にあり)が、ローマ帝国を中心に、どの国にも属さず自由に移動し続ける生き方が困難な時代になり、「移動」から「定住」への転換が促され、登録や登記により身分も財産も住所も管理される社会になりつつありました。

現代。いずれかの「国家の国民」であることが重要なアイデンティティ・IDであり、今も続く悲惨な戦争も、譲り合えない互いの国家IDが争いの根底に根強くあると感じます。情報ネット社会の中での、唯一で公的である“存在証明”がIDなのでしょう。

 現代の日本に住む私たちの共通するIDについて考える材料として、入れ墨(タトゥー)を取り上げてみたいのです。石器時代、縄文時代を通じて、共通の言葉を持たない諸民族が出会い交流し偶然出会い直す時に、相手を知り自分を相手に伝え覚え合うための視覚情報として入れ墨・タトゥーは重要な地位にあったはずです。タトゥーの語源はタヒチ語の「タタウ(tatau)」に由来するそうですが、西欧であれ中東であれアジアであれ交流の激しい民族ほど、Body languageとしてのタトゥーは大切なIDだったはずです。日本人にとっての“実印”、イスラエル民族にとっての割礼にも通じるアイデンティなのでしょうが、タトゥーそのものは移動文化から都市国家、定着文明の広がりとともに衰退したと考えられます。

 近代、現代日本でタトゥーへの嫌悪感覚(入浴施設での禁止など)が広がった一因として、佐渡金山に送り込まれた前科者に掘り込まれた“スジ”(スジ者)のタトゥーがあったと思います。或いは、アウトローを自称する“ヤクザ”構成員が、アウトローであることを生涯のIDとしいて身に刻む風習があったことも起因しているのでしょう。今日の“マイナンバーカード”を政府がこの国の住民に対して、便利さを売り物に半ば強制的に持たせようとしている動きに危機感を感じています。“信仰”もですが、自らのID・アイデンティは本来自分で決めるものであり、割り当てられたり上から決められるものではありません。かつて日本人というIDのもとで国の戦争に協力しない者は非国民であり、徴兵も拒否できませんでした。

少数者であろうと、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒に共通にあったと思われる、いずれかの国民というアイデンティティ(ID)よりも、「我が国籍は天にあり」というID感覚は尊重したいと思うのです。

 誕生したイエスが飼馬桶(馬槽まぶね)に寝かされたのは「居場所が無い」人に、「貧しい人々」に、社会のシステムやネットワークから、国家の束縛から疎外されている人にこそ、“しんがりを守る”神のわざが現れる、というメッセージと受け取りたい。

 AI(人工知能・人工言語)から電話がかかってくる時代です。システムや使い方について電話で担当者らしい人に質問しても、“個人情報保護”やら“失言”やトラブルを恐れるマニュアル的なAI(仮面言語)に振り回され、聞きたいことに辿り着けないことが多くなっています。
 古代民族から変わらない、対面するからこそ理解や共感が深まる“対話”が失われ、弱者の居場所が失われ、相互理解を妨げる闇が深まっている現代社会ではないでしょうか。

 

 主イエスよ、身そばにおらせたまえ!と祈りたい。
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