2020年4月5日 受難節第六主日礼拝 申命記32章 マルコ福音書7章14節 宣教題「わたしがサタンの頭なら」宣教 金田恆孝
申命記32章15-18、23-24節
15 しかるにエシュルンは肥え太って、足でけった。あなたは肥え太って、つややかになり、自分を造った神を捨て、救の岩を侮った。16 彼らはほかの神々に仕えて、主のねたみを起し、憎むべきおこないをもって主の怒りをひき起した。17 彼らは神でもない悪霊に犠牲をささげた。それは彼らがかつて知らなかった神々、近ごろ出た新しい神々、先祖たちの恐れることもしなかった者である。18 あなたは自分を生んだ岩を軽んじ、自分を造った神を忘れた。
23 わたしは彼らの上に災を積みかさね、わたしの矢を彼らにむかって射つくすであろう。24 彼らは飢えて、やせ衰え、熱病と悪い疫病によって滅びるであろう。わたしは彼らを獣の歯にかからせ、地に這うものの毒にあたらせるであろう。
マルコ福音書3章22-27節
3:22また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。3:24もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。3:25また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
ヨハネ福音書7章19節
7:19モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」。7:20群衆は答えた、「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうと思っているものか」。
宣教題【私がサタンの頭なら】
神の守りを心の底から願いつつ生きていた時代とは異なり、衣食住に不安がなくなり国家体制に守られたイスラエル(エシュルン・神に愛された者)は傲慢となり、戒めを形骸化させ、信仰は自尊心の飾りとなり、犯している罪を認めず、力と虚飾の世界を甘受していた。そんなイスラエルに神は怒り、滅ぶべきものを再生のため滅ぼすと主は語る。「彼らは飢えて、やせ衰え、熱病と悪い疫病によって滅びるであろう。わたしは彼らを獣の歯にかからせ、地に這うものの毒にあたらせるであろう。」の言葉は現在の私たちに突き刺さってくる。
近くにいるのは、味方する者だけではなく、イエスたちを敵視するイスラエル人に監視され続けていた。悪霊に取り憑かれている、との表現は、戦中戦後であれば“アカにかぶれている”とか、アナーキストとか、テロリストとか、反社会勢力、ヤクザみたいな言葉になるのだろう。口が利けないわけではないが、喋れなくなっていた人がイエスによって言葉で会話したり発言するようになった。数多の沈黙によって成り立っている擬制の体制もある。見えるのに見えないことにして成り立っている社会もある。イエスたちの「神の国」伝道は、神とともに歩まなくなったイスラエル=エシュルンを告発し続けることばであった。
“もしも、わたしたちが「神の国」=正義を語り、人々をたぶらかしている悪霊の軍団ならば、そしてわたしが悪霊の頭だと言うのならば、わたしだけを逮捕し、ふん縛ってしまえば、みんなを蹴散らすこともでき、あんたらが「神の国」=正義を奪い返すこともできるんじゃないのか” この箇所はそんなふうに理解することができると思われる。
先週の出来事
どれほど医療技術が発達しても、人は死に向かっており、「死に至る病」の前に人は、医師は、どんなに抗っても必ず敗北する現実がある。なのにウィルスパニックに陥り、死者すら“ゾンビ”扱いされ、葬儀もできず焼却処分されている国々の現実もある。今こそ祈りの時ではないか。