2020年4月12日復活節第1主日(イースター)礼拝 ヨナ書1章 マタイ福音書12章 宣教題「大魚からの復活」宣教 金田恆孝

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

ヨナ書1:14
14
 そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。15 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。16 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。17 主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。21 ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、2 言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。8 むなしい偶像に心を寄せる者は、そのまことの忠節を捨てる。9 しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。
10 主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。
マタイ福音書12章38-45節
12:38そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。2:39すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。12:40すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。12:43汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。12:44[そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。12:45[そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。

宣教題【大魚の腹からの復活】要旨
 本日はイースター、復活日記念礼拝です。しかも世界レベルでウィルスの広がりに大災難の最中の復活日です。(本日の礼拝は、通常の礼拝参加者は非常事態宣言もあり、来られず、新しい参加者一名のみの礼拝でした。)
 国によっては医療崩壊でトリアージ(治療の順番を決める)を口実にいのちの選別すら行われている様子。許されることではない。ウィルスの生命力は、空中で数時間、ものに付着したら数日間生きているとのこと。完全に防ぐなら、家族といえども離れて、誰とも話さず、解凍・加熱した食材のみで腹を満たし、体は手袋やマスクや服でガードし、それらも毎回消毒しなければならない。不可能と思われる。

 預言者ヨナさんはエゴの塊となって人々とのかかわりから逃げ続けていたのに主に捕まった。災難は自分のせいだとして自ら生け贄となった。死の直前、大魚の腹の中で主なる神こそ真実であると告白しすべてをゆだねた。そこに“復活”が起こった。

 不義な時代に世はしるし(エビデンス・確かさ)を求めるが、ヨナのしるし以外は与えられない、とイエスは語った。「自分は悪くない、罪はないのに、なぜこんなひどい目に遭わなければならないのか」「悪いのは何か・誰か」「どうしたら災難から逃れられるか」等の喧噪・パニックが続くのだろう。自分や自分たちだけを守ろうとし、疑わしい人を排除し、清められた場所に、もっと悪い7つの霊が戻り集まってくる、とのたとえ話は、現代の「健康・正常」神話に基づく社会病理を示していると感じられる。
 教会は復活の主イエスの体であろうとするなら、すべての人に開かれている祈りの場であり、執り成しの主イエスに癒やしとちからを求めるファミリーの場である。教会を閉じることはできない。教会はそこに集う一人ひとりに仕える立場である。礼拝の集いが危険かどうかは各々の判断と工夫による。教会こそが、現在の災難、危険、不安、人間の過ちについて、誰をも排除しない、開かれた対話が行われる場所でありたい。

先週の出来事
マスクもアルコール消毒薬も手に入らない。小中学校も5月まで閉じる様子。こりゃ、ほんとうに大魚の腹の中状態。どんな状況であろうと、自分だけは大魚の外にいようとする、人と人とを分断する悪しきパワーを警戒せねばならない。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です